【映画】幸せのイタリアーノ
思い立って、見たかった映画の上映館を探す。行ったことのないミニシアターでやっている。よし行ってみようと出かけた。商店街の中にあるそれは、今まで通ってても気づいていなかったか、昔に通りすぎた記憶があるような無いような、小さな映画館。実は色んな映画のリーフレットが並べてあって、結構人が立ち止まって見ている。
先にチケットだけ購入して、整理券を渡され軽く驚く。そういう仕組みの小さな映画館なんだなぁ。時間があるので軽くランチでもと商店街を歩き出す。
暑すぎて、何を食べたらいいか決まらない。何となく讃岐うどんのお店のメニューを見てると、店から出てきた麦ワラハットのハイカラなおじいさんに「ここ、美味しかったよ」と話しかけられる。思わず「冷たいのと温かいのどちらを食べたんですか?」と聞いてしまう。「冷たいの」と言われ、よし、と店に入った。調理人も店員もすべて女性。麺をふるうパワフルさ、かっこいい。
映画は軽くしかストーリーを調べず、予備知識なく見始めた。女たらしのジャンニが車椅子のハンディがあるふりした、車椅子のテニスプレーヤーでヴァイオリニストのキアラに対する嘘から始まる恋の話。恋の話というと甘いストーリかと思うけど、恋というより欲の話かなぁ。。。
ハンディがあるということへの、いわゆる健常者たちの偏見や思い込みや憐れみ。それを分かってて自分を持って生きるハンディのある人たち。ジャンニが恋した相手キアラは、そんなジャンニの上をいってた。強い。でも少しやっぱり悲しい発想。
キアラはハンディがあることのフィルターを外した、女としてジャンニは見てくれたから、最初から歩ける人だと分かってたけど、私だって恋愛の情熱を味わいたい、と言っていた。いっとき、そういう部分だけ味わったっていいじゃない、歩けると分かった時が終わりだと思うけど仕方ない、みたいな確かそのようなセリフだった。
ううむ。今、振り返って思い出すと、女たらしのジャンニの、女性=恋愛ごっこ、セックス、ある意味女性を”もの”という図式でしか見れないマインドが、私だって恋愛を楽しみたい、たとえ刹那でも、というキアラの思い(でもそれは悲しい考えかも)とで、需要と供給の関係で成り立っちゃった。
ジャンニは周りの人にいろいろ諭されたり、止めとけよとか忠告はされるけど、いつもの恋愛狩りごっこ、また一人落としたぜ、イェイ!って感じで、とにかく浮ついてるのよねぇ。男友達も苦笑しながらも、そんな自由に遊んで、女をとっかえひっかえ楽しんでいるご身分を少し羨ましい、という感じ。なんだろ、まだ女性、じゃなくて、女、という変な上から目線な言い方になるというか、人格がない”もの”目線なんだよね、この男仲間、男社会では。まぁ、そう思っているのは男性だけで、女性たちも同じように”もの”として、男、を見ていることもあるんだけど。
相手の女性も恋愛やセックスを楽しみたい!という、別にセフレでいいし、という互いに分かってての関係で、誰も傷つけないなら、お互いがそれで了承してるなら、まぁ勝手にどうぞ、だよね。
ところどころに、立っているジャンニがバレないように、とっさにキアラの別の車椅子に座ったり、トイレでバッとズボンもパンツもおろして座ったり、見知らぬお爺さんの電動車いすをお金を出して借りて座ったり、とにかく、ヒヤヒヤのシーン、笑いどころのシーンがあるんだけど、道徳的にいただけなさ過ぎて、全然笑えなかった。映画館の観客も誰も笑っておらず。足が不自由な障がい者ということで、周りが助けようとしたりする、その親切心を裏切ってるというのが笑えないどころか、心痛めるエピソードでしかなく、ジャンニに全く好印象無し。
そうやって人を欺いて、そこの感度が低いジャンニの俺は勝ち組的な生き方、誰かに迷惑をかけたり、傷つけるならアウトだよね。なぜ聡明なキアラがこんなアホなジャンニを好きになったりするのかが、よく分からんが。ジャンニは当然、この素晴らしキアラに惹かれない訳がないんだよね。
結局最後は、キアラの歩み寄りでハッピーエンドになるんだけど、ジャンニのアホな浮ついた欲のマインドから、やっと周りが見られて責任を取るという大人になる成長譚のストーリーだったのかも知れない。そしてキアラは最初は刹那でもいいじゃない、だってどうせ障がい者というレッテルを外して男性は見てくれないから、という悲しい発想もあったんだけど、ジャンニのある意味恋愛体質のおかげで、自分の恋愛モードに火がついたし、自分のままで振舞えた。
そして、車椅子の障がい者のふりをしたジャンニの嘘を分かってて付き合って、許して、歩み寄ったキアラ。この圧倒的なお見通し感というか、イタリア男性が逆らえない、女性の器の大きさ、懐の深さ、手のひらで泳がされている感、はい、負けました~という、負けました~と言いたい男性目線も入っているような映画だったのかな~。
見終わってすぐは、なんだか、女性軽視の、あと障がい者のふりをするとか道徳的にまったくいただけないし笑えない、なぜキアラが許して二人は付き合うのだ、、、という感想しかなかった。少し時間が経って振り返ると、ジャンニの成長譚、キアラの上をいくお見通し感、キアラの方がジャンニを落としたというか、見ているこっちが障がい者、その恋愛、いろんなレッテルを持ってるんだな~ということが分かる映画だったのかも知れないなぁ。