『未来の学校のつくりかた』税所篤快(2020)教育開発研究所
本書の副題は,
“僕が5つの教育現場を訪ねて考えたこと”となっています。
筆者が訪れた5つの教育現場とは,
①大阪市立大空小学校
②杉並区
③N高
④侍学園
⑤大槌町
です。
公立の学校現場から教育行政,
NPO法人から話題の通信制高校まで,
未来の学校という視点で全国各地の教育現場を捉え直しています。
内容はもちろん,
我々の固定観念を揺さぶる学校現場の状況を
軽やかにえがく文体にも大変好感がもてます。
著者が1989年生まれという同世代であることも大変刺激になります。
主体的・対話的で深い学び,感染症云々の前に,本当に教育が受け手のものになっているか。
自戒をこめつつ,本書の内容をまとめたいと思います。
第1章 「みんなの学校」の衝撃
10年後の世界を幸せに生き抜くための「たった一つの約束と4つの力」
“たった一つの約束”とは,「自分がされていやなことは,人にしない,言わない」というシンプルなメッセージだ。大空小では,この約束が徹底的に守られている。そして,約束を守る精神性はそのまま「人を大切にする力,自分の考えを持つ力,自分を表現する力,チャレンジする力」という“4つの力”につながっていく。p21
「『おはよう』から『さよなら』まで,“4つの力”にアンテナを張っていたら,怒ることすべてが教材になるんですよ。遊んでいるときにも,何気ない会話のなかにも,心を豊かにするような学びがたくさん転がっている。」p24
大空小の実践
ふれあい科
「ようこそ大空の先生たち」
「バースデーメッセージ集会」
「バースデーメッセージ集会は,自分が生まれた日を大事にしようっていう空間。そこには“子ども”も“大人”もいなくて,一人ひとりの“人間”が集まっている。人と人との真剣勝負なんです。大勢の人が,自分一人にだけ注目してくれる。話せることは,自分の心のなかから出てくる自分の言葉以外に何もない。そういう場に立って,初めて気づけることがあったりする。ふれあい科の取り組みは,人と向き合う場であると同時に,自分自身と向き合う場でもあります」p32
大空小はマニュアルを持たない
「たとえば『4つの力をほかの学校でも同じように掲げましょう』とするのは,大人が子どもに対して,一方的に与えるものになってしまうでしょ。4つの力は,教職員と子どもたちの間で散々話し合った末にかたちになったからこそ,両者にとって意味のあるスローガンになっているんです」p37
木村先生はいつだって子どもを見ている。手段ではなく,目的を見つめ続けている。これからの学校づくりに携わる人間が心に刻み付けるべきなのは,彼女がしてきたことではなく,彼女の視座なのだと,僕は強く感じた。p40
成功したとされる学校の事例や指導法,研究は,
どうしても一般化されてしまう。
そこに一般化のワナが隠されており,本質が隠れてしまう危険性がある。
「大空小だから」「木村先生だから」ではなく,
最後に引用した箇所にもあるように,
子どもを育み続けるための視座を共有していきたい。
教育はいつだって一点突破だ。
第2章 杉並の地域づくり・学校づくり
「学校は今のまま変わらずの存在であれば,2030年には用を足さなくなるだろう。硬直したシステムを維持しただけの学校であれば,近い将来滅びると思う」p44
「大空小学校が次の代にも『らしさ』を残せるとしたら,それは良い意味での“いい加減さ”だと思う」p45
大空小の決まりごとは少ない。考え方の根っこさえ共有できていれば,誰が何をしてもかまわない。システムではなく,マインドが脈々と受け継がれている。そこが井出さんの言う“いい加減さ”とリンクした。p45
「学校が,学校だからこそできる貧困問題へのアプローチとは何か……それは『子どもに確かな学力をつけること』だよ。学力のない子は,人生のいろいろな局面で不利になる。」p49
「日本の学校に必要なのは,学校がやらないことを決めて“手放す勇気”を持つことだ」p51
「学校知,学校文化と言ってもいい。それは地域の学校を中心に,教育という営みを通して培われ,継承・発展してきた知の体系だ。学校や教員の間に貯め込まれた経験値を洗い出し,検証していけば,未来の学校や先生の役割が見えてくる。(中略)学校知から“生きる力”を抽出し,それを子どもたちに受け継いでいくためのスキルは,これからの教師に必要不可欠だよ」p52
僕の考える「2030年の学校」のあるべき姿は,より具体的になった。未来の学校では,先生と子どもたちがともに学び合い,好奇心を刺激し合っている。そこに生まれるのは「教える人間と教わる人間」という短絡的なものでない,もっと有機的な関係性だ。そのためには何が必要か。それこそ「先生たち自身が好奇心を忘れない,新たな挑戦を厭わないこと」だと,僕は考えている。そうした後ろ姿を見られることが,どんなにたくさんの言葉で諭されるよりも,子どもたちにとっての大きな成長につながるはずだ。p55
本書における括弧書きは,筆者が追い続けた教育現場の
中心人物の言葉だ。
学校のあり方を地域社会から考えた杉並区の教育長,
井出隆安氏も徹底的に本質思考の方だ。
そして,これを羨ましがるのではなく,現場の平教師だったら…
で置き換えて考える・行動する仮定思考が大切だと思う。
今の学級システムが硬直化していないか?
子どもに確かな学力をつけることができているか?
自分のこれまでの教員歴から見出される“学校知”とは?
そこから抽出される“生きる力”とは?
一つ一つの事柄に意味づけのできる教育実践を積み重ねたい。
第3章 N高の挑戦
「2030年の教育はどうあるべきか……と言うと,『本来あるべき教育の姿を取り戻すこと』が大事だと思っています。それは『誰のための教育なのか』ということが明確になっている教育。つまり,教える側の都合に合わせた教育ではなく,受け手である子どもたちのことを第一に考えた教育を,これから私たちは取り戻さないといけない」p72
(いま,子どもたちに一番つけてほしい力は?に対し)
夏野さんは「自分の考えを持つための感受性」だと答えてくれた。
「いま社会でどんな問題が起こって,どんな人が困っているかを察知する感受性。これはもう少し実用寄りの表現をすると“課題発見能力”と訳してもいいかもしれませんね。ビジネスにせよ,社会貢献にせよ,『課題がどこにあるか』を把握することなしに,解決策は導けない。これからの時代に求められているのは,知識として『解決するプロセス』をたくさん知っていることではなく,『何が課題なのかを見出す感受性』です」p77
N高のシステム
オンライン双方向 生配信ですぐ添削
「将来の仕事につながる教育」
ホームルームはslack
・レポートの進捗状況のシェア
・好きな本の紹介
・ホームルーム外でも好きなスレッドを立てて,生徒同士のコミュニケーション
「N高で初めて友だちができた」
クラス担任はサポートに徹する
・ホームルームの運営
・各生徒のレポートの進捗管理
・100人の生徒全員に電話での面談
・ニコニコ超会議が文化祭
「リスクがあるから」という理由でその手段を封じてしまうよりは,きちんとした「ネットにおけるリテラシー」を踏まえた配慮をしたうえでコミュニケーションの場をつくっていく方が,よっぽど前向きな議論ができるだろう。pp88-89
「させられている感がない学校」p93
「スピード感をもって」「失敗を恐れず」「挑戦し続ける」というIT企業ドワンゴの強みを継承した学校経営の姿勢に,僕はただただ圧倒された。p93
東京の私立高校からN高に転職した堀口先生の言葉
「前職の学校では,職員会議の内容が,ほぼ確認・伝達事項であることも少なくありませんでした。N高では,最初から答えが決まっている会議がないんです。逆に,意味なく会議なんかしたら怒られます。『メール一本でいいだろう!』って(笑)。会議だけではなく,一つひとつのやることに意味があるので,働きがいがあります」pp103-104
「やることばかりを積み上げていったら,時間はいくらあっても足りません。まずは教員の負担を減らせるだけ減らす。余裕ができたら,そこで何をするかを決める。物事のプライオリティを決めて,注力する部分を明確にする--これからの学校には,こうした現場のマネジメント能力が,より明確に求められる時代になっていくと感じています」pp106-107
率直な読後感は,我が子はN高に入れてあげたい!だった。
けれど,それはN高のめざす主体的な子ども像には当てはまらない。
こうした学校が特異の目にさらされるのではなく,
当たり前の学校になること。そのために今自分ができること。
目的と手段を履き違えないこと,そして「させられている感」のある仕事(業務)を自分から減らすこと。
今の自分にできることを見つめ直すこと。
それこそが未来の学校の第一歩だ。
第4章 侍学園という希望
「日本で一番涙が止まらない卒業式」
サムガクの卒業式は,情熱と愛情に満ちあふれた理事長の式辞から始まる。ここで早速,参加者は驚愕することになる。理事長は卒業生の名前を一人ずつ呼びかけ,その生徒との出会いから今日に至るまで,学園で仲間たちと一緒に過ごした日々の思い出と成長の過程を,滔々と振り返る。一人ひとりに向けて,魂から削り出したような熱い言葉を,存分に語り尽くしていく。そして,最後は必ずこう結んだーー「卒業おめでとう,これからもよろしく」pp112-113
侍学園は,長岡さんが自らの人生で経験してきた「誰かに与えられる教育ではなく自ら探し,求め,生徒とスタッフが共に成長できる“共育”」の実践と,「何かに頼らず,自らの進むべき道を探すための学び舎」の実現を目指している。p115
(卒業生の清水さんにとってサムガクとは)
「とにかく“受け入れ力”がすごい。一人ひとりが皆,お互いを尊重して認め合っていて,素でいられて,気づいたら笑ってる。『あなたはここにいていいんだよ』って,存在を丸ごと肯定してくれる……そんな場所です。もうね,愛にあふれているんです。サムガクの人たちが大好きすぎて,困ってます(笑)」
少し照れた彼女の笑顔は,本物で,素敵だった。これほどまでに生徒が安心できる学び舎が,今の社会にどれだけあるだろうか。pp123-124
(どんな学校をつくりたいんだ?と恩師に問われて)
「生徒たちを全部ひっくるめて,抱きしめてあげられるような学校だ」p124
(学園祭での舞台発表)
サムガクの生徒たちは,けっして自分を表現するのを得意としてはいない。しかし,この舞台では生徒一人ひとりの個性や経験,本音が物語に練り込まれていく。すなわち,役を演じることがそのまま「自らの過去の葛藤や絶望をさらけ出し,いま抱えている思いを精いっぱい叫ぶ」ことにつながるのだ。他人から評価されることに怯えがちだった生徒たちが,役に投影した「こうありたい」と願う自分像を演じることで,一皮も二皮もむけていく。p136
一人ひとり違う背景を持つなかで,それぞれの生徒と「本気で向き合う」ためにはいったいどうすればよいかーー斎藤さんは日々,そんな問いを抱え続けていると言う。これは,サムガクだけではなく,すべての学校現場で突きつけられている問いだと,僕は思う。p144
「大切なのは自分が決めたことは『やり続けること』で『あきらめないこと』。どんなに苦しいことがあっても,どんなに悲しいことがあっても,必ず全てに意味がある。(中略)この国で悲しみに暮れる闇があったなら,それをそっと照らすランプであろう」p147
「生態系の多様さ」と「一人ひとりの覚悟」ーーこの二つの要素がサムガクに圧倒的なやさしさをもたらし,誰もが「自分の居場所だ」と感じられる学び舎をかたちづくっているのだ。(中略)
僕らは,学校や先生のあり方を決めつけすぎてはいないだろうか。人と向き合うときの覚悟をおざなりにしてはいないだろうか。サムガクは,学校という場所がどこまでもやさしくなれるという事実を,僕らに証明している。そして,併せてこう叫んでいるように感じるのだ。「学校が持つ可能性は無限だ」と。p154
エピソードの一つ一つがぶっ飛びすぎていて,
本書の中でも語り尽くせないのがこの侍学園。
一読では受け止めきれない衝撃がある。だからこその刺激がある。
自分にとっての「やさしさ」が,
「子どもにとってのやさしさ」ではないことを,改めて痛感する。
卒業式(出口の姿)をイメージして,逆算して積み上げるのも,今を一所懸命過ごして積み重ねるのも,どちらも全力でありたい。
第5章 大槌の教育復興
2011年6月,あの日からそれほど間もないうちに,伊藤さんは二つの抜本的な教育改革の指針を固めた。
①「コミュニティ・スクールを基盤とした小中一貫教育校」
②「ふるさと科」の設置
ふるさと科は,「命やものの大切さを受け止め,人としてのあり方や自らの生き方を考え見つめること(生きる力)」「復興をめざすふるさとの中で自らの役割や責任を考え,ふるさとを支える担い手になること(ふるさと創生)」を目的とした,いわば復興教育だ。p176
大槌の教育については,震災にまつわる表現が多く,
引用するというよりは,当時に思いを馳せるように読み入った。
作中で,
「相手に対しての想像力と配慮の大事さ」
を大槌で育った教育大生も語っているように,
経験していないこと・ものについては,想像力で補うほかない。
足りない想像力を駆使しても足りない場合は,読書だな。
本書を通して,
未来の学校はすでに現存しているし,いまだ周回遅れとも言える。
未来の学校をつくるというよりも,
まず自分と向き合うこと,
そして目の前の子どもたちに向き合うことが最短ルートだと感じた。