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Day8

この生活にも慣れてきた。…のか?

教師の目線より,子どもの目線で考えてみたい。


○朝の行動がルーティン化してきた。
→いわゆる「いい子」たちは朝提出物を出す習慣が位置づいている。
→一方意識が一方向に保てない子,レッテルを貼られやすい子たちは,
 忘れたり(本当にボーッとしている)サボったりしてきている。

総論:疲れているよね。当たり前だよね。自分も昨日9時間半寝たし。
   逆に,いい子すぎる子たちの行動原理は何だろう。
   親や教師に叱られないことが第一になっていないだろうか。


○帰りの行動がルーティン化してきた。
→やっぱりフォローが大事。毎日コメントして返そう。
→先生と一言交わして帰りたい子たちもいる。
→帰るまでの順番を考えよう。

総論:帰る前のチェックポイントを決めて,分散下校を考えよう。
   これも徹底した個別支援だ。
   名札・水筒・ふり返り・引き出し


○授業の「書く」は,ハードルが高い。
→明らかな出だし遅れは,視覚化の支援がもう少し必要かも。
→机間指導での声かけが,期間指導にならないように。
→机間指導での声かけが,基幹指導にならないように。

総論:やっぱり「書く」で耕すべきは技法ではなく,思いなんだなぁ。
   書きたいという意欲があれば,何とでもなる。
   でも,そうするための文脈は丁寧に耕さなきゃ。


○教室のあの子は発表を待てない。
→全体での呟く機会〜個別チェックの時間を大切に。
→呟けない人達には側で。やっぱり動きに緩急を。
→発表ってそもそも何のため?

総論:今だからこそ,授業の形態を機能度や意味からふり返る。
   当たり前を当たり前にしない。
   

健康チェック表を出す関係で,初めて朝提出物を直接受け取っている。
そこでの気付きをメモ。
子どもたちは提出物を出すとき,
わざわざ提出するところまで行ってからノートを開いている。
だから,今持っている物を一度置いてから,ノートを開かなければならない。
だから,荷物を一旦置くスペースが必要。
もしくは,自席で準備してから持って来るように指導することが必要。


教師の省エネで失われている配慮って至る所にあるような気がする。
「子どものために」を免罪符に,
何処か自分本位に理論化してすがっていることがある気がする。


これまでの方法論やべき論を続けることは容易いけれど,
柔軟に対応できる身体性を身につけたい。

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