ジョン・ケイル「パリス1919」考
ヴェルヴェット・アンダーグランドではヴィオラ、オルガン、ベースなどを操り、アヴァンギャルド担当などと呼ばれたジョン・ケイル。
ドローン音楽の巨匠ラ・モンテ・ヤングのもとで一度は学びながらルー・リードと共にロックンロールの山野に分け入り、ソロ1作目では王道のロックをやった思えば、2作目ではテリー・ライリーとの共演を果たし「両刀」として知られるようになった彼は、いまではポップなのに突然狂ったように即興演奏を始めては何事もなかったかのように戻っていくという「お家芸」ですっかりお馴染みになっている。
そんなジョン・ケイルだが、2作目「チャーチ・オブ・アンスラックス」以降しばらくは、少なくとも表面上はアヴァンギャルドの世界を離れ、ポップ路線での創作を追い求めるようになる。
「ミュージック・フォー・ア・ニュー・ソサイエティ」の頃には自分がなにを求めてアヴァンギャルドをやめロックンロールに走ったのか迷っていたとも語ったこの時期のジョンの作品の中でも、とくに異色なのがこの「パリス1919」だ。
アヴァンギャルドの要素は身を潜め、最初から最後まで様々な音楽性のとにかくいい曲が並び、叫ぶようなヴォーカルも即興演奏もほとんどない。これだけいい曲が並びながらなぜ売れなかったのかと不思議に思うくらいのアルバムなので、聴いたことないという方は是非一聴をお勧めしたい。
全体考
まずは収録曲を確認しよう。
A-1. Child's Christmas in Wales
A-2. Hanky Panky Nohow
A-3. The Endless Plain of Fortune
A-4. Andalucia
A-5. Macbeth
B-1. Paris 1919
B-2. Graham Greene
B-3. Half Past France
B-4. Antarctica Starts Here
こうして見ても名曲ぞろいといえるだろう。
どれも美しい旋律のいい曲ながら、A-5のようなロックンロールからオーケストラの音色を聴かせる表題曲、ラテンアメリカを感じさせるB-2まで音楽性は様々だ。
いずれにも捻りのないヴォーカルが付いているのがポイントで、アルバム全体をよりポップに感じさせる要因となっている。唯一B-4のみ歌詞の内容ともども狂気を感じさせる仕上がりになっているが、いかんせんメロディーが美しいので違和感は感じさせない。
ちなみに個人的に好きなのはA-3、A-4、B-1、B-4といったところ。特にB-1のライブ盤「追憶の雨の日々」収録バージョンは、ボーナストラックとして追加されたストリングス付のものも含めて抜群にいいのでおすすめだ。
テーマは「戦争」?
さて中身の曲を主に詞に注目して見ていくと、多くの曲で戦争や死といった悲壮感あるテーマが取り上げられていることがわかる。
A-1はディラン・トマスが幼少期を回顧して執筆した作品から取られたタイトルであるが、トマスは「焼夷弾空襲の儀式」や「救世主」のような反戦詩でよく知られた詩人でもある。のちにケイルがフォークランド紛争を題材に「フォークランド組曲」を制作した時も、トマスの詩を借用している。
「Take down the flags of ownership/The walls are falling down」といったフレーズやセヴァストポリ、アドリアナポリス(エディルネ)といった地名からも反戦、反冷戦の趣が感じられる。
A-3はおそらく南アフリカへの入植、グレート・トレックを題材にした詩であるが、全体を通して壮大な悲壮感が漂っている。イギリスによるトランスヴァ―ル侵攻などのイメージをもかき立てる。アパルトヘイトやアンゴラ内戦、モザンビーク内戦などとの関連もあるかもしれない。
A-4についてはいろいろな解釈ができるが、わたし個人としてはスペイン内戦によって荒廃した故郷の復興を願う農夫の歌と解釈したい。アンダルシア地方は内戦の激戦地ではなかったが、スペイン内戦でファシズムが勝利したことで故郷は「失われた」のだとも考えられるし、ケイルは「コルドバ」という曲も作っているため単純に歴史的にイスラム教とキリスト教の文化が混在するアンダルシアに思い入れがあっただけかもしれない。
B-1はタイトルからしても第一次世界大戦の終結が表面上のモチーフと考えていいだろう。戦死者への彼なりの追悼とも取れるし、ヴェルサイユ条約に関連してフランス革命なども言及されている。
対してB-3では第二次世界大戦を取り上げたと思われる。ノルウェーやダンケルクという地名がその証左である。ノルウェーとフランスで二度相まみえたドイツ兵とイギリス兵の共鳴する心情と考えるのはどうだろうか。
このように全体に戦争というテーマが通底しており、第一次世界大戦を中心とした現代にまで通じる反戦歌、レクイエムと考えるのが、おそらくは最も一般的かつ無難な解釈だろうと思われる。
もっとも、グラハム・グリーンは作家だしB-4はとある映画をモチーフに作られた曲であるようなので、単純にビリー・ジョエルが戦後アメリカの歴史を名詞の羅列によって表現したように、20世紀という激動の時代を総ざらいする過程で、戦争というテーマが全面に出てきただけなのかもしれない。
テーマは「芸術」?
ところが、和久井光司氏は編著『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド完全版』にて異なった解釈を展開する。
簡潔に言えば、1919年のパリを中心とした自由な芸術運動がテーマだというのだ。ロサンゼルスで録音され、リトル・フィートのメンバーが参加したりしているのも、様々な音楽性のやたらといい曲が一堂に会しているのも様々な芸術家が越境的に交流したパリの芸術界にふさわしいのだという。
これは非常に重要な視角だと思う。
芸術は常に反戦運動と密接な関連を持ってきたし、シェイクスピアやグラハム・グリーン、映画などとも容易に関連付けられる。A-2だけ牧歌的な歌詞の謎が深いが、何かモチーフとなった事物があるならご教示願いたい。
なにより、詞に注目して戦争という主題に固執すると、音楽そのものの鑑賞がおろそかになってしまう。敢えていい曲を並べ、クロスジャンル的なアルバムを作ったケイルの意図を察するに、言葉に書かれている以上のメッセージが音楽に込められていると考えるのが自然だろう。
特に、文化の交流という点には重きを置いているらしく、かつてイスラム教徒が支配したアンダルシア地方を始め、オスマン帝国の第二都市でバルカン戦争の激戦地となったエディルネ(かつてローマ皇帝が異民族ゴート人と戦って敗れたのもこの地であった)、同じくオスマン帝国が関係するクリミア戦争の主戦場セヴァストポリ、オランダから入植、自らもアフリカ人を圧迫しながら最終的にイギリスに征服されたトランスヴァール共和国など、多文化の交錯する地点に関するモチーフが多いと感じられる。
戦争という主題は文化・芸術とは正反対のやり方で異なるもの同士が交流するありかたとして、特にB-3で顕著なように好対照を成している。
シェイクスピアからディラン・トマスまでの英国文学の伝統を取り上げているのも、異郷アメリカで抱いたウェールズ人としての自負、また文学と音楽が、欧米とアフリカの音楽が交差する地点としてのロックへの期待が示されていると言えるかもしれない。
形式からの逸脱を期して自らを新たな規律で縛り上げていくような、伝統音楽の延長としての現代音楽ではなく、より自由な音楽の世界としてロックンロールの可能性を見出したケイルの出発点となったアルバムでもあるし、それこそが彼自身の「自分はロックンロールに何を期待してアヴァンギャルドから離れたのか」という問いへの答えであるような気さえしてくるのだ。
この辺の流れはシュトックハウゼンからカンとタンジェリン・ドリームが出て、クラフトワークを筆頭とするミニマルロックや電子音楽に派生していくのにも似ている、気がする。
全体考その2
これらを踏まえて改めてアルバムの曲目を見てみよう。
A-1. Child's Christmas in Wales
A-2. Hanky Panky Nohow
A-3. The Endless Plain of Fortune
A-4. Andalucia
A-5. Macbeth
B-1. Paris 1919
B-2. Graham Greene
B-3. Half Past France
B-4. Antarctica Starts Here
「パリス1919」は異なる感性が交錯する地点としての芸術と戦争の対比を通じて現在に至るまでの20世紀の歴史を語り、自由や民主主義の価値、アヴァンギャルド界隈への批判、芸術としてのロックンロールへの展望などを表明する作品であったとわたしは考える。
最後に、「ウェールズのある子どものクリスマス」で始まって「南極大陸ここに始まる」で終わる全体について再度考え直したい。
幼少期の牧歌的な思い出を語って始まるA-1ではやがて平和の祈り、境界なく人々が交流する世界への希望が歌われる。さまざまな事物を通して増幅された幼きケイルの祈りは時代と共に育ち、そして「麻酔状態から醒め」ると同時に南極大陸に突入する。
一見すると絶望的に見える終わり方だが、実はそうではない。
「南極大陸」が想起させる白く広大な大地のイメージは、真っ白で何者にでもなりうる無限大のキャンバスのようなものではないか。それは寒く寄る辺のない氷の大地を歩んでいく苦難以上に、将来への希望を抱かせるものとして、この場合は扱われているように感じられる。
この曲を終わりに持ってきたのは、「Antarctica Starts Here…」と歌い切った後に余韻を残すような構成からしても意図されたもので、それはこのアルバムのこれまでの中身は幻想的な回想でしかなく、真の芸術、真の価値はこれから始まるものだとでも言いたげではないか。
ケイルの願いは、これからもずっと受け継がれ、果てしない南極大陸よりも大きく、広く、続いていくだろう。
あとがき
ここまで恥ずかしながらアルバムの考察をつらつらを書き連ねてきたが、正直どうだっただろうか。若く人生の苦難を知らないわたしのような人が音楽を語るのは傲慢だとは思うが、ジョン・ケイルを好きになって何度も作品を聴いてきたという自負はある。
これだけ音楽性に富み、曲としての完成度に長けながらイメージ豊富でメッセージ性の強いアルバムはないのではないか、と思うほどの名作で欧米ではそこそこに評価されている作品なので、日本でも流行らせたい、とも思ったりするが、こんな文章では魅力も伝わらないというか、自分の思っていることを書くだけになってしまった。考察としては三流だが、まあなんとなく言いたいことはギリ分かっていただけるのではないかな?と。
表題曲の「ラララ~」というコーラス、ボカロ世代のわたしからしてもすごくモダンに聞こえるし、人気声優諸氏がアニソンとして歌ったらウケるんじゃないかな、って。ケイルの「シップ・オブ・フールズ」を題材兼EDテーマにしたウェルシュ・ロードムービー的な中身で。
以下最後に宣伝にはなりますが、過去に趣味として書いた詩をNoteに投稿しているので、もし興味があったら覗いてみてください。今書いている作品もある程度まとまったら投稿するつもりです。
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