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解放!……されたい

 事実なんてどうでもよくて、認識がすべて だからこそ言語による認識から抜け出したい あなたが誰でどんな姿かたちをしているのかを本当のことを見たい 知りたい 写真には映らない美しさがあるって聞くけど、じゃああなたの美しさはどんなものなのか、本当を知りたい時はどうすればいいの? 虹は本当は何色あるの? 私は本当は何色なの? そもそも「本当」って何? どの部分を持ってそう判断するんだろう 余計なものを削ぎとっていって残った純粋なものを本当とする そうすると、言語はやっぱり偉大な道具である一側面はあるけど、それと同時に言語によって支配されている側面も否定できない 絶対に切り離せない道具を持ってしまった以上は、それありきの「本当」しか知ることが出来ない 言葉のない本当の姿を知りたい もっとあなたに私に肉薄したい このnoteで考えていることも本当はもっと違う形なのかもしれない けどその可能性を実験したとして、その記録も言語じゃいけないし、その記録の認識も言語なしでやらないといけない 想像がつかないだけ? 私には分からない 虹は7色に見えてしまう うそ 目が悪いから本当は5色のときもある けど虹は7色って言われるからそう見えるだけ 余計なのは言語以外にもたくさんあるけれど、どれもこれも言語の形を携えている だからやっぱり言語を抜け出さないと 言語が最初で最後の門なんだと思う

 言語機能をスッパリ失えることがあったら、この問題を検証出来るかもしれない 好奇心は言葉じゃないから、きっと私は言語を失っても言語を持っていた記憶とそれに反抗する好奇心を思い出す 好奇心を思い出さなくても、思考をすると思う それがもう実験になる 命題形式じゃない、規定判断でもない思考はどんなものなんだろう そもそも思考できないんじゃないかと思ってしまうのは、私が言語でしか思考できないから 空想の私が目を開いている

 今言語を捨ててみたい気持ちもある けど、後続の方法も分からず捨てて、あなたに好きって伝える方法が分からなくなったら悲しいからまだ捨てられない あなたがいるから私は考えるんだよ あなたがいなくても私は考えると思うけど

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