「滋賀の星」吉田輝星の右肩に、期待という名の重石を乗せてー
北海道日本ハムファイターズは、滋賀に住む私にとって最も縁遠い球団かもしれない。そもそも距離が遠い。1軍も2軍も阪神とリーグが違う。新庄剛志や坪井智哉も引退したし、モノマネ芸人の今成亮太には生え抜き感しかない。去年は交流戦もなかったので、谷川昌希のトレードを聞いて順位表を見直したぐらいだ。
それでも私には、密かに個人成績をチェックする選手が1人いる。「滋賀の星」こと、吉田輝星である。
一般的に吉田は「秋田の星」と呼ばれている。2018年の夏、金足農業高校のエースとして秋田大会から1人で投げ続けた剛腕。県立高校を甲子園決勝まで導いた衝撃に加え、マウンドで見せる侍ポーズ。東北勢の初優勝こそ果たせなかったものの、秋田を中心とした盛り上がりは2009年に菊池雄星を擁して躍進した花巻東に勝るとも劣らないものだった。6年前まで岩手で高校野球を取材していた私が言うのだから間違いない。
しかし思い出してほしい。吉田をここまでのスターに押し上げたチームが滋賀にあることを。びわ湖ブルーのユニフォーム、近江高校だ。
「滋賀の兄ちゃん、すまんな!きょうはカナアシ応援するわ!」。2018年8月18日。意気揚々と準々決勝の取材へ乗り込んだ私に、目深にハンチング帽をかぶり、スコアブックをヒザに乗せ、ビールを飲み続ける常連のおっちゃんが掛けたヒトコト。この言葉の恐ろしさは、試合が進むにつれて十分すぎるほど感じることになる。
近江1点リードの9回ウラ。金足農業はあれよあれよとチャンスを広げ、気づけばノーアウト満塁になっていた。声援を送るのは帽子のおっちゃんだけではない。はるばるみちのくからやって来たカナアシに、甲子園球場全体が手拍子をする。これまで地元扱いを「一応していただいていた」滋賀県勢として、感じたことのないアウェイ感だった。
果たして2年生サウスポー・林優樹の投じた1球は、前代未聞の逆転サヨナラ2ランスクイズに。林は呆然。同じく2年生の捕手、有馬諒は立ち上がることもできない。高校野球ファンの記憶に残る劇的な展開で、近江は金足農業の前に敗れた。らしい。正直よく覚えていない。
なにせ滋賀県勢の甲子園初優勝まであと3つ。この試合に勝てば、準決勝の相手は西東京代表の日大三高だった。2001年の甲子園決勝で敗れた相手。あの悔しさは忘れもしない。当時中学2年だった私も、近江マーチを1塁側アルプスで歌っていたのだから。
宿敵を倒して決勝で待ち受けるのは大阪桐蔭高校。こちらは藤原恭大や根尾昂を擁する最強のセンバツ王者である。なんという魅力的なマッチアップ!番組台本にも絶対書けないストーリーが私の頭に浮かんでいたのだ。ついさっきまで。
ああそれなのに。2ランスクイズが決まった数分後、私は思い知ったのだった。この番組の主人公が、少なくとも近江ではなかったことを。
滋賀県勢が全国の頂点まで駆け上がるのはいつの日だろう。気付けば阪神も順位をどんどん落とし、なにひとつ心が満たされていなかった9月。ひとつのネット映像が、私の生活に彩りを戻してくれた。
金足農業が全力校歌を歌い上げたあと、ベンチ前で土を集めながら笑顔で声を掛け合う近江の3年生たち。「あれがプロや!」「全然ちゃうな!」「ハンパないって!」。無念も失意も悔しさも、思いの全てを「吉田輝星のスゴさ」に変換している。見ていて涙が止まらない。
近江のラスボスは吉田輝星だったのだ。日大三高でも、大阪桐蔭でも、甲子園の異様な雰囲気でもない、最高の相手。負けて悔いなし。助演男優賞獲得、おめでとう近江!そう言えば多賀章仁監督は代表インタビューが終わったあと、私に「ありがとう!」って握手をしてくれたっけ…。熱すぎた100回目の夏は、この瞬間、私の中でようやく終わりを告げたのだった。
あの夏から3年が経つ。ドラフト1位で指名された藤原も根尾も、千葉ロッテと中日で次世代のレギュラーを狙う位置にまで成長した。だが、関西のテレビニュースで吉田の名を聞くことはほとんどない。個人成績をチェックしても、増えているのはイースタンの登板回数のみ。それは困る。早くエースになってくれ。
2、3年もすれば、きっと林も有馬もプロの舞台へやって来る。1年生ショートだった土田龍空は中日でレギュラーをつかんでいるだろう。だからこそ願う。滋賀の夢を打ち砕いたラスボスが、彼らの前に再び登場することを。主演が輝かないと、助演にスポットは当たらない。
そして私はきょうも番組の合間に吉田の成績をチェックする。開幕ローテ間近と聞けばニヤニヤするし、2回7失点と聞いてガッカリもする。これこそが最も縁遠い球団のイチ投手を「滋賀の星」と勝手に名付け、秋田県民以上に期待する滋賀県民の日常なのである。【文春野球 フレッシュオールスター2021『ベンチ入り賞』受賞作品】