Black Lives Matterと選択と投票

アメリカでは日に日に「Black Lives Matter」の声が強くなっている。再燃の発端となった、ジョージ・フロイドさんの動画をはじめ、SNSでシェアされる映像はどれも凄惨で衝撃的で日本に住んでいる僕にはどこか現実感がない。その様子は今年の2月にリリースされたチャイルディッシュ・ガンビーノのコンセプトビジュアルのようだ。

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優れたアートは同時に予言的である的な言葉があった気がするが、このビジュアルはぞっとするほど予言的だ。

Instgramやtwitterでは頻繁に目にするこの抗議運動だが、日本のメディアではあまり見かけない。恐らく「#Black Lives Matter」について知らない人も多くいるだろう。僕自身、2013年当時の活動は音楽という文脈からアクセスした。今回同様多くのミュージシャンが声をあげ、その作品や2010年代の空気感にも大きく影響を与えたと言っていいだろう。グローバル社会だので、いつでも海外の情報、カルチャーにアクセスできるようになった今でも、実際に享受しているのはごく一部なのだろう。

僕はいち日本人として、この問題を(今のところ)直接的ではないにしろ、自分にとって非常に近い問題として捉えている。僕の生活の延長線上、しかも比較的すぐ近くに潜んでおり、見え隠れしているような感覚。この不穏な感覚が僕の周りに湿気のようにまとわりつく。実際、先日クルド人の男性が、警察から不正な扱いを受けたというニュースがあった。

多くの例と同じように、この問題も分断と対立によって生み出されている。世の中にはさまざまな主義思想の人がいることはよく知っているつもりだ。
僕の考えなんてものは無知で恥知らずで、どうしようもない。それでもこのようなニュースを見ると、どう考えても許されるべき問題でないし、そんなことがまかり通る社会は間違っていると思う。

そうだ。理屈ではないのだ。同じ人が人として生活することに何を議論し争う必要があるのだ。これは当たり前のことなのである。そんな不確定な社会に我々もいるのだ。関係ないことなんて絶対にない。

「Black Lives Matter」に対して多くの企業が声明を出している。どれも我々にとっても身近な企業ばかりだ。

海外のミュージシャンや俳優の多くが声を挙げている。日本では水原希子さんが熱心に呼びかけを行なっている。

僕は「選択」という行為が、一番身近で、手軽で且つ何よりも大切な社会参加だと思っている。)最近、コンシューマーアクティビズムという言葉があることを知った。消費は企業への投票であるという考え方に基づいた概念である。

以下の記事が非常に簡潔で分かりやすかった。3分あれば読めるので是非見てみてほしい。

企業が提供するサービスを自分の倫理観に当てはめて考え、消費活動を行うという考え方である。効率性を追い求めてきた資本主義の中の新たなタームなのかもしれない。

今回挙げている「Black Lives Matter」について、今すぐ僕ができることは残念ながら少ない。自分の中で咀嚼し、考え、世界の動きをしっかり掴むことが大切だ。そして、この記事のように自分なりにアウトプットすることだ。しかし、先ほど挙げたような、「Black Lives Matter」を軸に消費行動を行うというのも、自分が声をあげる一つの方法なのかもしれない。


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