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療育をしていた頃のこと

家事と育児と療育をやってくれる人がいれば、仕事をしていた方が楽だと思っていた。仕事には休みがあるし、やることがわかっていて結果が出てお金がもらえる。家事育児はともかく、息子の療育ができる人は世界中探してもどこにもいない。自分でやるか諦めるしかなかった。

月に一度通っていた療育の先生は大まかな方向を示してくれた。「次はこれができるようになるといいですねぇ」。それを実際にどうやって教えるか。言葉をもたない息子に教える時に言葉が使えない。「これはこうするんだよ」という言葉がわからない子にどう教えればいいのか。息子が見ているもの、認識していることを観察してとらえ、それを利用していくしかない。教え方のテキストはなく、幼児用のワークブックは1番易しいものでも、息子のはるか先を行っていた。

その頃私の頭の中は「どうやって教えるか」でいっぱいだった。うんうんと考え続けているとパッとひらめくことがあり、それを手続き化して教材を作り、息子とやってみる。その反応を見て、出来ているようなら次のステップを考え、わかっているのかがわからない時は同じ課題を続け、もう少しで出来そうならステップを細かくしたりヒントを増やし、全く出来なければ違うやり方を考えた。その日の様子を見て修正するので、教材の作り置きはできなかった。毎日新しいものを作り、時に教えながらその場で作ったりもした。

1日のうちで息子が集中できる時間は限られていて、1日空けてしまうと前にやったことを忘れるので、毎日30分以内息子と向き合い、それ以外の時間はほとんどその準備に充てていた。
そういうわけで、仕事の方が楽だと思っていた。

だから私は、人にこのようなやり方は勧めない。大変だということもあるが、やったらできるようになるという確証がないからだ。息子が今できていることが、療育をやったからなのか、何もしなくてもできるようになったのかはわからない。
育てるだけでも大変な子どもに、情報が十分でない療育を親がするのは負担が大きすぎる。やってきて良かったとは思うけれど、それは息子と向き合う30分が楽しく、今でもそのネタで一緒に笑えるからだ。

あれから四半世紀が過ぎた今、もっと療育法が確立して指導できる人も増えているのだろうか。親はただ子どもと楽しく過ごすだけでよく、健常児と同じくらい学びの場がある世の中になってほしいと思う。

家族で教材を作ることも(◯×を教える課題)

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