タイピングと物語の二極分析(6):「実戦志向スプリンター」という狭間存在
久々の続き。
久々なのでおさらい
本シリーズでは、「タイピング」と「物語の捉え方」は大きく2つのタイプに分かれ、かつ相関があるのではないかという主張をしている。
アクション/行為の物語(演劇・映画)タイプ
リアクション/認知の物語(小説・漫画)タイプ
こういう分け方。
大岡さんが前者、僕が後者の対極の特性を持っており、それぞれに適するキーボードや創作分野が異なるということだ。
以下、本題。
競技志向/実戦志向
先月、大西配列の大西拓磨さんと、薙刀式の大岡俊彦さんの主催で、「Alternative Typing Contest」というイベントが行われた。
qwertyとJISかなを除く、いわゆる新配列限定のタイピングコンテストだ。
で、プレイヤーとしても参加した大岡さんが、タイピングにおける「速さ」について色々と書いている。
強調されるのは、「競技と実戦のタイピングは違う」ということだ。
僕は競技には全く興味ないので、完全に実戦派のタイパーといえる。
競技と実戦の違いは何か。
ざっくり、短距離走の競技と、長距離走の実戦と言い換えられる。
ただ、これはあくまで「速さ」の比較であって、実戦に「速さ」そのものが必要ないという場合もありえる。どうせ打ち込む以上の速さで考えられないから、という、いわば散歩派。
なのでここでは、競技と実戦の「速さ」の違いというより、「運動」そのものの違いに焦点を当てる。
アクションか、リアクションか、という話だ。
リアクション型スプリンター/アクション型ステイヤー
このあたりは前回の記事でも書いた。
「先に思い浮かんだ文章を書き写す」リアクションライティングは、競技タイピングに近い「運動」なのではないか、ということは以前からふんわり考えていた。
実際、僕は創作文のタイピング中に無呼吸になることが多い。今もなってる。
あらかじめ「コースと距離」が決まっているわけではないから、単純な短距離走とは違うが、シャトルランみたいなものだろうか。あるいは、サッカーの試合とか。
書いては消し書いては消しみたいな時間をオンプレーに喩えるなら、書き物の9割は断続的なシャトルランだ。
ん〜〜〜〜、カタカタカタカタカタッ。あー…………ん。カタカタカタ、カタカタカタカタカタカタッ。む、ぅ………
みたいな感じ。
で、僕は日本語入力こそqwertyローマ字だが、キーボードは36キーだ。小さいので、レイヤーとコンボをガンガン使っている。キーボード自体が(レイヤー)シフトと同時打鍵を要するわけだ。
なんでそんなことをするかというと、でかいキーボードでタッチタイピングなんかできない、言い換えればミスタイプするからだ。
つまり、ミスタイプしないためにある程度ロールオーバーを捨てている。
そしたらホールド化けがウザすぎたので、キレてホールド化けを殺している。
そう考えると、僕のビルドは「実戦志向スプリンター」そのものだ。
基本はスプリントなので、ミスタイプを減らしたい。しかし、長時間のシャトルランなので、疲労も減らしたい。このへんの兼ね合いでビルドしている。
反対に、「競技志向ステイヤー」だって論理的には存在しうる。
とはいえ、タイピングの競技シーンで何時間もかかるレギュレーションは一般的ではないし、娯楽性からいって今後流行ることもなさそうだ。
なので、現在のタイピングシーンで、「競技志向」はほぼイコール「スプリンター」といえる。
しかし、「実戦志向」がイコール「ステイヤー」とはならないのではないか。
むしろ、これまでの仮説が正しければ、いわゆる「モノカキ」の多くは本質的にスプリンターということになる。
qwertyローマ字がハバを利かせている理由の大半は、経路依存性(パスディペンデンス)だろう。
しかし、新配列の多くがステイヤー志向であることも原因の一つではないか?
qwertyローマ字もJISかなもスプリンター志向なので、オルタナティブを生み出す動機が強いのはステイヤーなのではないか?
qwertyローマ字はスプリンター志向の極北みたいな方式だとは思うが、それはそれとして単純に効率は悪い。「スプリンターならqwertyローマ字でよい」わけではない。
ならば、実戦志向スプリンターは、スプリンターのための入力方式を真剣に考えないといけないのかもしれない。
まあ大西配列使えるなら大西配列でいいかもしれませんけど。
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