自作キーボードをやると自分が褒めてくれるからいいぞ(気を付けろ)
(僕たちにはこういうものが全部キーボードに見える)
2月以来、狂ったようにタイピングとキーボードのことをやってきた。
成果は色々とあったのだが、正直、ちょっとバランスを崩していたとも思う。
自作キーボードはなぜ楽しいか
『GIANT KILLING』に曰く、大人になって誰かに応援してもらえることはめったにない。褒めてもらえることもない。
まあ僕はSkebとかやっているので、わりと応援してもらえるし褒めてもらえるほうだが、そこには期待を裏切るプレッシャーが付いて回る。
自作キーボードにそのプレッシャーはない。そして、うまくいけば自分の役に立ち、自分の気分がよくなり、自分が褒めてくれる。
販売までしている設計者の人ならまた話は違うのだろうが、自分のためのキーボードを自分で組む限りにおいては、ノーリスクハイリターンだ。(ローコストとはいわないが)
自作キーボードに実用派と耽美派があるとすれば、僕は間違いなく実用派だ。キー部参加者で一番ダサいキーボードを見せびらかしていた自信がある。
だから、「理想のキーボードを誰かが作ってくれて、買うだけで済むならそれに越したことはない」と思っていた。いや、思い込もうとしていた。
それは間違いだったと認めざるを得ないようだ。
僕は、自分に褒めてもらうためにキーボードを作っている。そういう面がある。
自分で自分を褒めることの罠
しかし、それがいいこととは言い切れない。
僕の自キ活には、僕にとっての価値しかない。まあいくらか知見をシェアしたりもしているが、基本的にはそういうことだ。
僕は他者にとっての価値を生みださない活動に膨大なリソースをつぎ込んでいる。キーボードは道具であり、価値を生みだすために存在するが、キーボードそのものに他者にとっての価値はない。
1000円のキーボードで作ったものも、10万円のキーボードでつくったものも価値は同じだ。
僕の場合、キーボードを作る最大の目的は体を壊さないことなので(実際背中が張り裂けて起き上がれなくなることはなくなった)、もちっと切実なのだが、読者にとってはスイッチがどうとか、全くどうでもいいことだ。
主従関係が逆転してはいけない。
創作が主、道具作りが従。
突き詰めれば、キーボードは僕のためではなく、読者のためのものでなければならない。
頑張って書きます。
でもだから自作キーボードはいいぞ!!!
楽しいぞ!! しかも役に立つから楽しいわけなので実際役に立つぞ!!!!
2月から何やってたかのまとめはまた今度書きます。
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