ニュータイプストーリーと少年
僕が5歳の頃、我が家にファミコンが来た。両親が揃っていたころだ。新品ではない。母方の親戚がもう要らなくなったといって、たくさんのソフトと一緒に我が家にきた。
ザラザラとしたものや、すべすべとした質感を持つ色とりどりのカセットは、ファミコンにセットして電源を付けるやいなやすぐに起動した。メーカーロゴ演出がなかった時代だ。説明書が残っていたゲームは少ない。プレイしながら、なんとなくのゲームのルールを理解していった。紫色のカセットのゲームは手裏剣を投げるゲームだった。上にいる姫を助けるのが目的らしい。
親たちも少しファミコンをやっていた。母はゼビウスとロードランナー。自分では上手いといっていたがそうでもなかった記憶だけが残っている。いつしか煙草を吸うだけになり、僕だけがゲームをしていた。
父は麻雀ゲームだけやっていた。僕もやらせてもらった。ルールが分からなかったので、最初は教えてもらった唯一の役であるニコニコ(七対子)だけを狙っていた。また、競技人数も2人だと思っていた。
どうやら、12月にはクリスマスという特別な日があるらしい。僕は誕生日プレゼントに何が欲しいか聞かれた。『ゲームソフト』。ただそれだけの要求。手元のゲームはどれも僕の物だったが、僕の意志のゲームではなかった。ただそれだけだった。親は悩んだかもしれない。要求が漠然としているからだ。僕の枕元には靴下が掛けられた。頭の側の本棚には各種図鑑が並んでいた。僕の教育に両親が積極的だった時代だ。結局図鑑は鳥類と恐竜しか開かれなかった。子供用の英会話のカセットも、再生されることはなかった。
肌寒い冬の朝、僕はいつもより早く目が覚めた。6:30頃だったと思う。両親もまだ寝ていて、布団からでるのもつらい温度。まだ灯油ストーブのタイマーも動かない時間。
靴下の中に2つのカセットが入っていた。生身のまま。今考えると中古だったのかな。テンションが上がった僕は両親を起こそうとして揺さぶった。振動は不快そうな呻き声に変わったので、僕は一人でカセットを持ちテレビの前に座った。
カセットは二つ入っていた。望外だった。一つは白く、見慣れない車を操作するレースゲームだった。
このゲームのことはあまり覚えていない。昔からレースゲームは苦手だ。アクセルの離し時がわからないからだ。
もう一つのゲームは水色をしていた。Vの字の飾りをつけた小さいロボットが、カセットには描かれていた。
ニュータイプストーリー。
どうやらガンダムといわれるそれらを操作して、敵を倒して進んでいくシミュレーション。このころはシミュレーションというジャンルの名前すら知らなかった。
このゲームでボクは断片的にたくさんのことを覚えた。間違ってたことも。
アムロという名前は強いこと。
レズンの青ドーガは運が悪いと落とされること
再生産されたνガンダムにはアムロは乗っていないこと。
武者ガンダムは最初に打ち合わずコマンドから入ること。
クリアしたりしなかったり。一日に出来る時間は決められていて、セーブの仕方も分からなかった。
毎日毎日、ニュータイプストーリーをやっていた。クラスの子がマリオカートに勤しむ時になっても、僕はグレートデギンを攻略していた。
やがて僕もスーファミを買った。親は一人になっていた。その頃にはドンキーコングや幽☆遊☆白書のゲームを一人でやっていた。マリオカートは苦手だった。
ある日友達が遊びに来た。若い両親を持つやんちゃな友達。父親からゲーム借りてきたらしい。
ガンダムがそこにいた。アムロがそこにいた。見慣れない、ゲッターとかいうロボットが隣にいた。
その友達は程なくして転校した。僕は彼が持ってきたゲームと同じゲームを買った。
ドラゴノザウルスを突破できたのはその3ヶ月後位だ。そのぐらい、当時から俺は阿呆だった。
今年、そのゲームは30周年らしい。まだアムロは強いままだ。あの頃から、それは変わらない。
今では両親とも居なくなった。一人で生活し、あの時の友達とは音信不通だ。地元を捨てて東京に居る僕のことは、地元では話題に上らないだろう。僕の痕跡は彼らには見付けられない。
あの時ゲームを持ってきてくれた彼は元気にしてるだろうか。もうゲームはやってないような気がする。僕のことも覚えてないだろう。
それでも、僕はこうやって思い出し、30周年のゲームのPVを観ている。そのうち買うだろう。ワインのように、本作のアムロの活躍を楽しむのだ。