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等身大の言葉で話す
こんにちは。足立さとみです。
2020年、明けてしまいました。
去年の最後の最後まで、私はかなりもがいていました。
会社員の頃、とても有効だった、「会社のミッションで大きなことを言う」という癖がどうしても抜けず、自分が話す内容と自分の心の解離があったのです。
自分の中からでてきた自然な言葉と、飾った言葉の差が自分でわからないという。ある種、かなりな末期症状。
でも、会社で仕事をしているとき、ある種の型があって、その言葉がどうしても嫌いだったことを覚えています。でも無理やり使おうとしていました。
いえいえ、会社のせいにしては行けません。
もしかしたら、ずっとそうだったのかもしれないのです。
とにかく、自分の素直な感想を言ったときに、
親や他の人から返ってくる、「えーー、私は違ったわ〜〜」の、
他人のストーリーに埋もれ、
私の感想は、小さくなってしまい、
言ったそのこと自体が、悪いことのようになってしまったのです。
私が感じていることは、大失敗なことで、なかったことにしたかった私は、
別の言葉で自分の中を取り繕うということを、かれこれ40年ほどやってきてしまったのでした。
この言葉で、何か文章を書いても、あまりスッと胸に入らないのです。
読み手に残る文章には程遠い。それは体感もあって、もがいていました。
ですが、年末に、いくつか、自分の中で大きな出来事がありました。
自分を縛っていたいくつかの禁止事項をようやく、最高の状態に変化させることができました。
すると、どうでしょう。
今まで肩肘を張ったように書いていた文章が、スッと大人しくなりました。
(リスニングママ・プロジェクトで年末に書いたブログを読んでくれた友人から、読みやすくなった!何か良いことあった?と、連絡があり、ますます間違いないな、と、思ったのでした。)
言葉は、在り方を示します。
この変化は技術ではなく、私の在り方の問題です。
素直になってきた。
境界線ができてきた。
これが、欲しかったのです。
(ようやく、技術を乗せても効果の出るところまできました。)
2019年の最後に、ようやく、私は、私を見つけました。
等身大の言葉で話す自分の心地よさ、パワフルさ。
等身大でこの大地にようやく立った気がします。
さあ、ここから、
「できない」を「やる」に変えて。
いつもやってはきていましたが、より気持ちよく、できるできないではなく、もっと奥にある私の北極星にむけて、自分と進んでいきます。
今年の目標は、とにかく
「等身大の言葉で話すことに慣れる」です。
ここからスタートする物語を、みなさまにお伝えしていきます。
これは、きっとみなさまにもお役に立つはずです。
写真は、近所に小さな神社です。普段はひっそりしているのに、お正月では、大きな福を見せてくれていました。
みなさまにもご多幸な1年になりますように!
新年のご挨拶とさせていただきます。