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イタリア人感染者が発見されてからの60日


 2月20日木曜日。イタリアで初めて、イタリア在住で、外国に渡航していないイタリア人の感染者が発見された。その後、その村の近郊で多数の感染者が確認され、10の小さな町村が『レッド・ゾーン』として閉鎖されたのが2月23日日曜日。それに伴って、ミラノ市内の学校、美術館、スカラ座、教会などの観光施設、映画館、スポーツクラブ、クラブやバー等も閉鎖されたが、その時点では、一般市民の生活に、それほど大きな影響はなかった。対人距離を1,5M 取るように指示が出ただけで、カウンターでの立ち飲みはできなくなったが、日常通うカフェも営業していたし、レストランにも出かけていた。
 3月7日土曜日。雪不足だった今シーズン。火曜日から木曜日にかけて降り積もった雪のおかげで、各地のゲレンデは、今シーズン最高のコンデションとなっていた。
 私達家族も、久しぶりのスキーを目的に、金曜日の夜から山の家へと移動していた。積雪のニュースは、多くのスキーヤーに歓迎され、土曜日のゲレンデは、多くの人で賑わっていた。
「こんなにリフトを並んだのは、久しぶりだね。」などと、20分もの行列の末に、ようやく乗車したリフトに座って、家族と会話した。
 ランチで入った山頂のレストハウスも、案の定の大混雑。誰もが「コロナウイルス は下界での出来事。」とでも思っているかのようだった。
 その夜。山の家のキッチンで夕食の準備をしていた時、ミラノを州都とするロンバルディアが、夜中の24時から、つまり8日の日曜日からロックダウンに入ると言うニュースが飛び込んできた。
 イタリア人の感染者が発見されてから16日が過ぎて、ミラノ近郊の市町村では、感染者数が右肩上がりに増加の一途を辿っていたので、ある程度は予測していた出来事だった。ただ、その夜のうちに、ミラノに住むイタリア中部から南部出身の人々が、いきなり消えてしまう事は、誰もが予測していなかった。自家用車はもちろんのこと、電車、バス、TAXIなど、ありとあらゆる交通手段を使って、24時をすぎて、ロンバルディア州から抜け出られなくなる前に、約3万人もの中部&南部出身者が、その夜のうちに自宅へとこぞって帰って行った
 それに困惑したのは、中央政府。感染者を外に出さないためのロックダウンが、無意味どころか、悪影響へと転じてしまった。このため政府は9日月曜の夜、臨時に3月10日火曜日からイタリア全土をロックダウンにすると発表した。
 ロックダウンは、不必要な移動は禁止される。そして空港、駅、高速道路の料金所など、主要場所に検問所が設置され、正当な理由を持たない人の出入りを禁じる。
 私達は仕事があるので、山の家に留まるわけにはいかない。日曜の午後、私たちはミラノへと戻った。
 高速道路は、まるで映画のように、ガラガラだった。これほど周囲に車がいない高速道路は、未だかつて見たことがなかった。(写真はその時の様子)
 ガラガラの高速道路からミラノの都市高速を経て、ダウンタウンへ降りても、まるで街が死んでしまったかのように、信じられないほど車が走っていなかったのが、印象的だった。
 ロックダウン1日目。週末ということもあり、外から戻ってくる人を想定した処置なのか、車に対する検問所を通過することもなく、私たちは無事にミラノの自宅へと戻ってきた。

 イタリアのロックダウン下では、移動する際に、政府が発行した移動申請証明書をダウンロードして、それに内容を記載して、身分証明書と一緒に持参しなければいけない。
 政府によって認められた異動は、スーパー、および飲食類を販売する小売業者への買い物。薬局、医療機関へ診察のための移動。健康のための自宅から200m圏内の散歩やランニング。自宅から200m圏内の犬の散歩。業務することが認められた職種の仕事のための移動。運送業者の移動。それだけだった。

 3月9日月曜日。こうしてミラノのロックダウンはスタートした。
 私の自宅はミラノの中心地となるカテドラル(ドゥオモ)まで徒歩で20分程度の距離にある。そのため、日常では、家の前の道路は多くの車や人が通行し、かなり賑やかだが、その日は、未だかつてないほど、通りがシーンと静まり返っていた。
 毎朝のラッシュ時間には、車が渋滞して、時にはクラクションの音が煩いほど鳴り響く通りも、1度の信号でたった1台か2台の車が通るほどだ。家の近所には、パン屋、薬局、新聞スタンド、ミニ・スーパーが通常営業しているので、窓から外を見れば、通行人は僅かながらも4〜5名は見える。
 商店の閉鎖に伴って、アマゾンなどの宅配が増えたとニュースで言われた通り、宅配のトラックが頻繁に行き来する。
 ランチタイムやディナータイムが近づくと、デリバリーサービスのライダー達が、右往左往している。近所のレストランは、営業しているがエントランスには「宅配のみ」の張り紙が出されて、店内にはデリバリーを待つ紙袋がいくつか準備されている。
 ただし夜も10時を過ぎると、デリバリー・ライダーも姿を消して、通りはまさに人一人歩いていない寂しい通りに変わる。時々通る路面電車だけが、静寂を破るかのように、轟音を立てて、通り過ぎていく。
 こうして、ロックダウン開始から1ヶ月半が過ぎていった。
 人数制限があるためスーパーには、1時間近く並ばなければならい時もあったが、スーパーの中には、不足するものは何もなかった。薬局は普通に営業しているし、オンライン・ショッピングを使用すれば、日曜雑貨から、衣料品、高級洋菓子まで、何でも手に入る。この期間のNETFLIXの契約が倍増したとニュースになっていたけれど、ほぼ全ての映画からTVドラマまで、自宅で視聴できるし、友達とはビデオ通話で、顔を見ながらおしゃべりもできる。娘の学校もインターネット授業。多くの仕事は在宅勤務。スポーツクラブのインストラクターは、オンラインレッスンまでしてくれる。インターネットのお陰で、何から何まで至れり尽くせりだ。
 ただ、自宅から200m以上の外出はできない「自宅拘束」と言う不自由さだけだ。幸いなことに私達家族は、鬱的な性格からかけ離れているので、鬱にはなっていないけれど、この状況下、鬱病患者が増えているとも聞いた。確かに行動範囲の自由が奪われると言うことは、誰にとっても、決して愉快な話ではない。

 イタリアの現状では5月3日を最終日として、ロックダウンを終了する予定らしい。
 政府にとっても初めてのロックダウン。3月8日から現在に至るまで何度も制令が変更され、対応の不手際さが目に見える。
 一度、家から50mほどのピザ屋に、テイクアウトはできないのか尋ねたところ、「緊急法により禁じられているので、残念だけれど、デリバリーしか対応できない。」と断られた。なんでも1日前に、ピザ屋の上のマンションに住む客がテイクアウトしたのを見ていた警察により、罰金が課せられたとのこと。だが、パン屋では、普通に切り売りピザが販売されて、テイクアウト可能だ。なんとも理屈にあわない。
 また生花業界でも問題は発生した。3月中旬だったと記憶するが、花は生活必需品ではないと言って、スーパーで販売されていた生花や植木も廃棄処分とされた。(スーパーはその際、顧客に廃棄処分にされる花を、無料でプレゼントしてくれた。)ところが、花の生産業社から大きなクレームが出て、2週間後には、またスーパーで花が販売されるようになった。この期間、廃棄処分された生花の額はイタリア全土でかなりの額だった。これも無意味な打撃を、政府が生花業界に投げかけた。
 ようやく感染者数も徐々に減少し、集中治療室の病床もようやく空きを見せ始めた今日この頃。多数の死者を発生させた老人ホームなどへ検察の調査が始まり、コロナの横で発生した人災にメスが入れられようとしている。そしてユーロ基金などの財源を巡って野党と与党の駆け引きが連日ニュースで報道される。
 ロックダウンが終了した時、どれだけの小売業者がシャッターを上げることができるのだろう。経済の立て直し。失業者への救済。問題は山積みだ。
 BC & AC と言う言葉を聞いた。紀元前&紀元後ではなく、コロナ前&コロナ後と言う意味だそうだ。それだけ、世界は大きく変わると言われている。どのような世界になろうとも、私達は前に進むしかない。

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