不登校児とお小遣いの話
前回はフリースクールの放課後の思い出を書いたけど、今回はもうちょっと詳しく当時よく行ってたお店やお小遣いの使い道についてのお話でも。多分ゆるい感じの文章になっていると思います。
引きこもりの頃は母に車で連れていってもらう時でもなければお買い物なんて、ましてや一人で外に出る機会なんてまったく無くなっていた。小学生の頃のほうがずっと出歩く機会は多かったくらい。
たぶん自分の小学生時代はギリで近所の謎のおばあさんがやってる駄菓子屋さんが生き残っていた時代で、お小遣いの用途も駄菓子屋さんに小銭を握って走っていくか、町中になんとなく無造作に置いてあるガチャポンを回しに走っていく程度のものだった。
中学生になる頃にはそんな欲求も無くなっていたけど、その代わりに不思議と引きこもりのくせに音楽に興味が湧いたり、服が気になってみたり、外にあるものへと好奇心が向いていったのだった。
市街地のフリースクールに通うようになって自然と生活圏内に気になるお店が出現したこともあってか、当時のお小遣いの消費先は格段に増えていった。
お小遣いをくれるお父さん
中学2年生の当時は毎月2000円のお小遣いをもらっていた。ちなみに1年生の時は1000円で、3年生からは3000円。こう聞くととてもブルジョアな家計のように思われるのかもしれないけど実際そんなことはないのです。
小学生時代からバリバリの母子家庭で、母は子供二人を抱えながら工場でパート勤務。子供への毎月のお小遣いはそんな母から支払われるのではなく、離婚した父親の仕事場に姉と二人で出向いて毎月お小遣いをせびりに行くというシステムで成り立っていた。
父は昔スナックを経営していて、小学生の頃スナックに会いに行ったときお店のママ(伯母)に
「あら○○ちゃん来たの~~何飲む~??パパと一緒の飲もっか~??(ウィスキー)」って接待してもらったのも良い思い出。
けど自分が中学生の頃にはパッパはもう落ち着いた仕事に就いていて、会いにいくときも普通にお昼に開いているお店に行けば会えるようになっていた。
毎月、お小遣いをもらうために母の車でお店の近くの駐車場に車を停めてパッパの働いているお店へ行く。パッパを未だに憎んでいる母は車の中で待ったままで、姉と二人で出向いていく。
パ「おっよう来たな、またデカくなったんやないか?勉強してるか?」
私「うん、学校の書類にサインいるって言ってたからこれ書いて~」
パ「はいはい、あっここ違ったか、まええわ間違いはったって言うとき~」
私「ありがと~またね~」
当時の「お父さん」という存在に対する認識は完全に、たまに会ってお小遣いをくれる仲のいい人、という印象。ちなみに母は父から離婚の慰謝料も養育費も一切もらっていない。
なぜこんな一般家庭の事情や財政を暴露したのかというと、ただただ当時のお小遣いの使い道について書きたかっただけで…。
行きつけの小汚いジャンク屋さん
フリースクールのある公民館から自転車で2~3分ほどの所には当時の印象だとそれなりに栄えていた駅前の商店街があって、行きつけのお店もそこにあった(今は商店街ごと潰れてる)。覚えている限りのお店は小さな服屋さんと、本屋さんと、雑貨屋さんと、そのくらい…。いや他にもたぶん理髪店とか骨董品店とか色々あったと思うけど、中学生の目には興味のあるもの以外は映っていなかった。
思春期真っ只中の中学2年生、当時からバンギャ気味だった姉の影響で自分もビジュアル系にドハマりしていて、そのおかげかお小遣いはもっぱらCDを買い漁ることに費やされていた。
かといって一枚3000円もするアルバムを買ってしまえばその月はもう破産してしまう。シングルだったら一枚1000円だけど1曲か2曲…お小遣いと比べてしまうと手を出す勇気が出ない。
ネットで音楽のサブスクなんて微塵も無い時代。あるとしても携帯のナントカ放題の範囲内で探すとかそんな感じで…今なら選択肢も色々あるんだろうなあ…。
そんな感じの財政状況で丁度良かったお店が駅前の商店街にあった。そこはフリースクール帰りのいちばんの行きつけで、いちおう「電気屋」という名目で営業していた謎の小汚いジャンク屋さん。中古であれば本やらCDやら家電やらなんでも売ってる個人経営のお店。汚れたガラス棚の中には鞄やアクセサリーやゲーム機が仲良く並んでいて、その足元には無造作に扇風機や家電製品が転がっている。たぶん一番人気だったのは、いつ見てもあまり変わり映えのしない品揃えの壁一面の中古漫画コーナー(主に立ち読みスペースとして利用されていた)。思い出深いお店だけど今は影も形もなくなっている。
このお店の隅に小さなCDコーナーがあって、フリースクールの帰りにそこをチェックするのがいつの間にか日課になっていた。当然毎日通ったところで品揃えはほぼ一緒なんだけど、ちょっとずつ変わっていく品揃えを観察日記でもつけるかのようにいつもチェックしていた。
アイドルソングや流行りの曲に気を取られつつも基本ビジュアル系狙いだったから、アッこれお姉ちゃんが推してたディル○ン○○イのシングルだ!しかもこれ限定ステッカーも入ってるやつだ!と喜んだり、ラファ○○ってバンドのCDが欲しいんだけど中古屋には並ばないタイプなのかな…店主さんに聞いたほうがいいのかな…?って目を皿にして探したり、このX JAPANって人知ってる!前ワイドショーで見た!とか…
そんな感じで好奇心のままにお小遣いの範囲内でワクワクと音楽を探していた。
公民館の横のいつもの公園のこと
その日も代わり映えしないラインナップの中からなんとなく手に取ったのは”KID A”という海外のアルバム(500円)(たぶんビジュアル系とは程遠い)で、ずっと売れずに棚に刺さってたから気になってたのもあるけど、ジャケットのデザインがやたら鋭角な山々の絵で印象深かったり、まあ500円だし…ハズレでもいっか…と衝動的にジャケ買いした。感覚としてはくじ引きの抽選箱に手を突っ込んで当たりを選んでる感じ。
その日はフリースクールで上手にお喋りできなかったこともあって、このまま家に帰る気分にもなれなくて、自転車でいつもの公民館横の大きな公園まで戻っていた。
いい大人になった今になってもその公園はなんだか、不登校時代のランドマークのように思い出の中に残っている。市街地の中心なのに昼間でも人気がなくてちょっと寂しい、広くて閑散としていて空が大きく見える、芝生がきれいな公園だった。公園のすぐ隣には市営の図書館と美術館があったけど当時はそこに足を運ぶ気になることもないくらいオブジェとしか認識していなかった。今思えばあのフリースクールはずいぶん良い立地だったんだなあと思う。なんなら今から通い直したいくらい…。
ベンチに座って、さっきジャンク屋で買ったばかりのCDを聴くためにCDプレイヤーを取り出す。当時お気に入りだったオレンジ色で鹿のプリントのあるパーカー(800円)のお腹のポケットにはいつも携帯型のCDプレイヤーをねじ込んでいた。今思えば携帯というには大きすぎる気もするけど…。開くボタンをポチッと押してホタテ貝みたいな形に開いたところにCDをセットして、再生ボタンを押す。
異国の知らない音楽が流れてきて、空気が途端に透明になって、なんだかずいぶん遠くまで来たような思いがした。特になにがあった訳でもない、お小遣いで買った新しいCDを一人で聴いていただけのことだけど、こないだまで部屋にこもって絵を描くことしかなかった自分にとっては、長い時間を経てやっと自分の力で辿り着いた自分だけの居場所にいるような心持ちだった。
それはもちろんその時の風景と音楽のもたらした一時的な錯覚のようなもので、お小遣いの範囲内で得られる自由がもたらしてくれた幻だったのだろうけど、今でも思春期の象徴のようにそのときの空気を懐かしく思い出せてしまう。
いつにも増して個人的な話でなんのこっちゃな感じの文章になってしまったけど…本来ただの思い出語りのつもりで始めた記事で…お酒を飲みながらのほほんと書いてるので、そんな感じで読んでいただければ幸いです。
お わ り( ◠‿◠ )