不登校時代の思い出

もうとっくに三十路も過ぎて、わけもわからず迷いながら悩んでいた不登校の頃が今ではもう、つたなくて可愛い過去の思い出として振り返れるくらいになってしまった。折角いい歳をこいてしまった事だし今更というか、今だからというか、当時を懐かしんで思い返しつつ文章にしていこうと思います。そんなに重い記事にはしたくないのでなるべく楽しくて懐かしい思い出を中心に。

記事を読んでいただく前に一応の補足ですが、私”なまえれんらく”はインターネット上で性別を公表していません。子供の頃の思い出話をするにあたって性別をどう描写するか悩んだけど、そのへんの方針は崩さないでいこうと思います。
文章中の一人称視点については性別に依拠しない書き方で、なんか昔のゲームによくある喋らない主人公方式とか、夢小説的なスタイルで書いていくので好きに当てはめて解釈していただればより楽しめるかもしれない。

ということで以下本文です↓


はじめてのフリースクール

中学二年生になった頃にはもう小学生時代から続く長年の不登校と引きこもり生活にも慣れて、いや慣れている場合じゃないとさすがに危機感をつのらせていた。そんな自分はある日なんとなく「塾に通いたい」とお母さんに相談した。理由はほんとに曖昧で突発的で、せめて勉強はしなきゃという義務感とか、未来への不安とか、外の世界への憧れとか、色々。
母はそんな自分の言葉を聞いて、きっとその時、これは更生への千載一遇の好機!と力こぶを入れていたことだろうと思う。子供の意思を慮りながらも気取られないように慎重に意思確認をしてきてくれた。
「お勉強がしたくなったの?それとも外に出たくなったの?」
と、対する自分の返事は
「いやお勉強したいってよりはなんかムニャムニャ…」
と曖昧なものだった気もする。
後日母が勧めてきたのは”フリースクール”という得体の知れない何か。塾じゃないの?という疑問と、塾より楽そう…という好奇心と、とりあえず見学してみよっか的な誘導から意外とすんなりフリースクールという新生活が始まった。

自宅のある田舎の郊外から見て自転車で30分程の市街地にそのフリースクールはあるらしい。ちなみに市街地といっても充分に田舎で、一番の観光地は駅前のジャスコである。
実際のフリースクールってどんな場所だろう?塾みたいな感じの建物かな?と思いながら、母の車で連れられて訪れたところは古い小さな公民館だった。カビ臭い玄関の下足箱に靴を入れて、茶色いスリッパを履いて、3階のいちばん奥にある一室まで連れられていく。
”フリースクールの名称”というものには特に決まりは無いのだろうけど、どこもだいたい”フレンド”とか”えがお”みたいなふわっとした感じで、いま自分が扉をくぐったのもシンプルなお花の名前の教室だった。
そこは学校のクラスの半分くらいの広さで、窓から明るい陽の差す白くて清潔な普通の部屋だった。迎えてくれたのは男女二人の優しくて若い先生(今思えばたぶん教育実習の先生)と、部屋に一台だけのパソコンで遊んでいるmother2のポーキーみたいな太った小学生と、遠巻きに談笑している多分同学年くらいの女子たち。生徒はこれだけ?と思ったけど、フリースクールはまあ当然といえば当然にその日通学するかしないかの選択は自由で、日によって来てる子や来てない子はまちまちらしい。実際のところは子供みんな含めても総数は15人程度だったと思う。もっと大きなフリースクールだと違うのだろうけど。
イジワルそうに見えたポーキー(仮)は
「まぁここも悪いところじゃないよ。キミもこれから通うの?」
みたいな感じで、意外と大人っぽく気さくに迎え入れてくれた。

とにかくこうして、自分のなんとなく発した「塾に通いたい」の一言のせいで、毎日片道30分自転車をこいで通学する健全な生活が始まってしまった。


あいさつを頑張った話

フリースクールに通い始めてからの最大の難関は他人との会話だった。
元からわりと無口なタイプだったこともあるし、不登校になった理由にも由来するのだけど、その頃の自分はまったく他人と喋れなくなっていた。
実際、何年も他人と喋る機会がなくて鈍ったのだろうと思っていたし、思いたかったけど、どうしてもそれだけでは説明がつかなかった。なぜか喋ろうとしても自分の喉からまったく声が出なくなっていることに気付いた。

自分から外に出る選択をしたわけだし、人と喋りたくないわけでもなかったから、喋れないことが何よりの問題だった。
「おはよう!今日は一人で来たの?」「いつも自転車で通ってるの?」「お絵かき好きなの?」「お弁当おいしそうだね」
日々の基本的なコミュニケーションは自然と”首振り”になった。首を縦に振れば「はい」で、横に振れば「いいえ」。きっと相手から見れば不愛想で無口でだらしない子に見えるんだろうなあと思いながら、日々をこれだけでなんとか乗り切る。なぜなら声が出ないから。
大人になってからこれが”失声症”と呼ばれる病気らしいと知る。発声機能や認知に問題はないけど心因的な理由で声が出なくなること(ちなみに最近”血の轍”って漫画を読んで同じ症状が描かれてて懐かしくなった。面白い漫画なのでオススメ)。

若い先生は優しくて、細かいことでも見つけて褒めてくれて、それはもちろん今思えば不登校児童への社交辞令なのだろうけど、他人とのコミュニケーションが長年枯渇していた自分には素直に嬉しいことだった。おかげで、なんなら自分は特別なちゃんとした不登校児(?)なのではないかと得意な気持ちにもなった。
かといって、日々のコミュニケーションをいつまでも”首振り”だけでやり過ごすわけにもいかず、それは新しく始まった生活の中で大きな課題になっていった。片道30分の自転車もそうだけど、特に頑張らなきゃいけないのは日々のあいさつと、なにより”終わりの会”。

終わりの会ではみんなでその日にあったこと、やったことの感想を一人ずつ喋っていく。教室の中心に円形に並べられた白いテーブルを囲んで、ちょっとした発表会のように一人ずつ話し終えていく。特に言うことのないほとんどの子は「楽しかったです」と定型文だけで次の人にバトンを渡す。そうして自分の順番が近づいてくる。いざ自分の番がきた頃にはもう頭が真っ白で魂が消えてしまいそうだったけど、聞こえてるのかも分からない声で「楽しかったです」と喉からしぼり出した。変な声だなあと思いながら。

帰り際に先生やルームメイトから「さよなら」と言われて、みんな優しいから自分がその場で首を縦に振ってから去っていくだけでも許してくれると分かってはいるけど、そうやって何も言わずに帰るのはなぜか悔しかった。ここで甘えたらもっと駄目になる気がする!となんとか声を振り絞って精一杯に普通の「さよなら」を言って帰る。そうしてちゃんとさよならを言えた日は達成感でいっぱいで、もうその日すべてのやることを終えたような満足感で外に出て、元気に自転車をこいで家に帰っていった。


終わりの会を頑張った話

そうやって毎日がリハビリのような気持ちで通学?通フリースクール?が続いていく。大変ではあるけど実際、会話すること以外はとても楽なものだった。なにせ先生は若くて元気で優しい見習い先生で、ルームメイトもみんな自分と同じ不登校児の小学生と中学生の子供たち。こんなに変な声で挙動不審でしどろもどろに言葉を発している奇妙な生徒にも、ここの人達は誰も嫌悪を見せずに見守ってくれる。
ポーキーは「君は面白いタイプだなぁ…」みたいな感じで妙に落ち着いて興味を示してくれるし、同年代の女の子達もトランプやボードゲームに誘ってくれて、要領が分からずにアタフタする自分を愉快なキャラだと面白がってくれた。後から知り合った同年代の男の子達は卓球に誘ってくれて勝手に騒いで遊んでくれる。心から優しい人達ばかりだった。それが尚更「ちゃんとしよう」と日々のリハビリの手助けになっていた。

フリースクールには一限ごとの時間割や毎日の授業はない(少なくとも自分の通っていた所は)。だいぶ大ざっぱにとりあえず午前中は勉強の時間、と決まっていた。といっても義務は何もなくて、みんなで何か勉強っぽいことをしていればいい、みたいな時間。
その日はカバーもどこかへいってしまったらしい剥き身の文庫本を本棚に見つけて、なんとなく手に取って読んだ。今ではもうタイトルも覚えてない海外の小説で、冒頭からどこかに監禁されている男の主人公の話。児童文学ではなさそうなすこし難しそうな印象の本で、隣に座っている優しい女の先生は「漢字多いね~、ちゃんと読めるんだ?すごいね~」と褒めてくれて、またちょっと得意な気持ちになった。結局午前中かけても冒頭くらいしか読めなかったけど。
その日の終わりの会は、今日読んだ文庫本の話をしようと決めていた。
なんとか読んだ範囲のその作品の印象は、冒頭で主人公が部屋から外に出るところ、ピクニックして魚の缶?を開けてパンに塗って食べるところがおいしそうだったこと、登場人物がみんな海外の人で名前を覚えるのが難しかったこと。ただそれくらいの情報を、終りの会で自分の順番が回ってくるまで頭の中で何回も繰り返した。
やっと回ってきた自分の番で、結局ほとんどの言葉をいちいちつっかえながら、途切れ途切れになりつつ喋った。その間みんなが黙って辛抱強く見守ってくれているのを横目に感じながら、結局かかった時間は1分~2分くらいだろうけど体感は10分。話し終えるとみんなが拍手してくれて、それから次の人にバトンが移って、それでやっと一安心。



思ったより長くなりすぎたので一旦このへんにしておきます…。
また思い出しつつ不定期に書いていこうかと思ってるので、今回はとりあえず、不登校時代の思い出その①ということで…。
といっても実際そんなに他人に語れるような面白い話はないんだけど…全部ただの思い出ノートです。

こんな個人的なお話を長々と読んでいただいてありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。それではまた!

お わ り

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