夜明けのすべてを見てふと思ったまとまりのない話
「夜明けのすべて」面白かった。
三宅唱さんの作品はいつもどこかあったかくて本当に好き。
ざっくりどんな話かといえば、
PMSやパニック障害といった自分のカラダなのに理解もコントロールもできない症状に向き合わないといけない主人公2人が、なんてことはない日常の中での気づきを通して、他者へ慈愛の気持ちを表したり他者へ助けを出せるようになっていく話。
他人に自分の症状を言えなくて、理解もしてもらえなくて、悩む。
そういった状況もあり、考えの主語が自分偏重で視野狭窄的だった2人が、ある仕事を経て、ゆっくりと半径5mの人たちの目線も持って行動できるようになっていくサマがとても好きだった。
ちなみに映画の感想はここまでで、ここからは私がふと思ったこと。
病気や喪失経験など「生きづらさを感じる人たち」が映画には結構出てきていて、だからかな、「生きやすい人たちによる無意識の加害性」については本当に気をつけなければならないなと感じた。
それは私が「生きやすい人」だから特に感じたんだと思う。
ここでいう生きやすい人っていうのは、心身も経済面も困ったことがなく、容姿や性差で不当な扱いを受けたこともなく、性格的にあまり悩まないで思ったことをすぐ口にしてしまうタイプこと私みたいな人を指す。
病気や喪失経験以外にも生きづらさって色々あると思っていて、例えば
・「これ言ったらどう思われるだろう?」と思いを巡らせてなかなか意見が言えないという生きづらさを感じている人もいるし
(そこには自分が嫌われたくない、という感情も、その人を傷つけないか、という配慮も混在しているはず)
・他人から何か意見を言われるたびに自分を否定されたように感じてひどく落ち込むという生きづらさを感じている人もいるだろう
(ちなみに意見した側は否定する意図はなく、本当に議論を目的とした意見を言ったにすぎないケースだってある)
そんな人たちに対して私は悪気ない加害性を働かせてしまっているように感じた。
私は悪気なく「ウケる〜」くらいの意味合いで気軽に「○ねw」みたいな強い言葉使っちゃうけど、これって一部の受け取り手からしたら多分ショックすぎる言葉だし。
めっちゃ対人関係悩んでる人に対して「悩みすぎだよ〜直接本人に言ってみなよ」とか「相手も何も気にしないよ!」とか軽率に意見しちゃうけど、これって一部の受け取り手からしたら害悪でしかないし。
(「いろいろ考えた上で言えねえんだよ!」って心の中で思ってるよねきっと)
解決に向けては生きやすいサイドと生きづらいサイドの信頼関係の構築や倫理観と感度の話に集約しちゃって自分の中ではまだ全然まとまってないけど、
少なくとも自分が無自覚な加害性を働かせているかもしれない認識や、そうである以上こちらが発言や振る舞いに責任を持つべきというスタンスに立っていたいなと思った。