古代信仰、それは彼らにとって科学であった
古代の信仰や宗教観を、野蛮だと見なす人がいますが、私はその考えを否定します。
科学が発達していなかった時代において、信仰は彼らにとって科学そのものでした。未知の世界に対して、少しでも理解可能な解を用意しようという切実な努力が込められていたのです。
この記事では、古代日本における信仰がどのように「科学」として機能していたのか、私自身の視点を交えながら紹介します。
穢れ信仰による伝染病対策
古代日本では「穢れ」という考えがありました。人間や動物の死、血液などは重大な穢れとされ、これを祓うためには「禊ぎ」が有効とされていました。禊ぎは多くの場合、水や海水を用いて行われます。
この信仰に基づき、天皇や貴族は死穢を避けるための行動を取り、身分の低い者との接触を制限していました。一見非科学的に思えるこの風習ですが、私たちはコロナ禍を経験し、これが伝染病の感染を防ぐための有効な手段であったことに気づきます。
日本書紀には、崇神天皇の時代に疫病が大流行し、人口の半数が失われたという記録があります。その疫病を鎮めるために建立されたとされるのが、奈良の大神神社です。この記録はまた、当時の日本が中国との交易を行っていた可能性を示しているとも考えられます。
現代の知識では、伝染病は無から発生するものではないとわかっています。人口が多く、交易が活発な大陸で発生した病が日本に持ち込まれた可能性は十分にあります。実際、江戸時代には出島、開国後には開港地から伝染病が広がることが記録されています。こうした事例からも、日本において伝染病は常に海外との接触によってもたらされ、政権をも左右する重要な問題でした。
仏教伝来時にも同様のことが起きています。当時、仏教を導入するかどうかで議論が起きましたが、その最中に伝染病が流行しました。仏教反対派はこれを「日本の神々の怒り」と主張しましたが、現代の視点では、仏教導入のために入国した大陸の人々が伝染病を持ち込んだ可能性が高いとわかります。仏教反対派の主張は科学的に正しい主張だったのです。
稲羽の素兎に見る古代の治療法
「稲羽の素兎」の物語では、毛を剥がれた兎が以下の手順で治療を行います。
海水を浴びて身体を乾かす
真水で身体を洗い、蒲の穂の上で寝る
これを単なる嫌がらせとする説もありますが、実は古代の治療法を表している可能性があります。海水で傷口を消毒し、真水で洗い流し、蒲の穂の薬効を利用して回復を図ったという見方です。
また、出雲神話では、貝が神格化され治療に用いられる描写なども見られます。こうした試行錯誤の中で治療法が編み出され、信仰として残されていったのではないでしょうか。医療と信仰は当時ほとんど区別がなく、人類は実利的な目的のもとで進化を遂げてきたのです。
近親婚を防ぐマレビト信仰
古代日本をはじめ世界各地では、来訪者(マレビト)を神聖視し、彼らとの子孫を作る信仰がありました。日本ではこれを「マレビト信仰」と呼びます。
この信仰には、近親婚を回避するという実利的な側面がありました。当時、人々の交流が限られていた農村部では、近親婚が発生しやすい環境にありました。近親婚がもたらす遺伝的リスクはよく知られています。ハプスブルク家の事例を挙げるまでもなく、これを避けるための合理的な行動だったと考えられます。
最後に
科学もまた、初期には誤った仮説や試行錯誤の積み重ねから成り立っています。一方で、民間信仰が正しい結果を導いた例も少なくありません。有名な近代の例として、脚気に対する玄米や麦飯の効果が挙げられます。森鴎外が科学的根拠がないことを理由に白米食を推奨した結果、多くの人が脚気で苦しみました。にもかかわらず、脚気になった明治天皇は民間信仰の食事法によって脚気を治した事例があります。
現代でも、東洋医学の漢方や鍼灸のように、科学的にメカニズムが解明されていない治療法が臨床的には効果を上げていることもあります。これらは信仰と科学の間に明確な線引きがないことを示しているのではないでしょうか。
古代人にとって信仰とは、未知の問題に対する切実な解決策であり、それは現代の科学と同じ役割を果たしていました。私は科学が未発達だった時代の彼らの思考や行動に強い興味を感じています。この記事を読んで、同じ興味を抱く人が増えてくれたら幸いです。