『時間的な余裕』利上げと利下げとフォワードガイダンス
「公定歩合と衆議院解散は嘘をついて良い」と言われたのは遠い昔のことだ。公定歩合は過去に政策金利と位置付けられていたものであり、金融政策の変更はサプライズが当然とされていた時代があった。しかし、現在はそういう訳にはいかない。現在の日銀法には
日本銀行は、通貨及び金融の調節に関する意思決定の内容及び過程を国民に明らかにするよう努めなければならない(第3条第2項)
と定められている。金融政策運営の自主性(独立性)を確保する上で、同時に透明性が義務付けられ、説明責任を果たさなければならない。特に近年では政策判断に至る議論を事後的に公開するだけでなく、先々の経済見通し、金融政策運営の考え方について、定期的な説明が求められる。
フォワードガイダンス
場合によっては、金融政策の方向性を示唆する、必要があれば約束することが、一つの政策手段とも位置付けられる。植田総裁がかつて時間軸効果と呼んだものだ。その後、フォワードガイダンスという呼称がより広く使われるようになり、何らかの形で多くの中央銀行がこれを取り入れている。
中央銀行の主要な政策手段は短期金利の操作だ。短期金利のコントロールから実体経済への波及経路は様々考えらえる。中長期金利への影響を通じた効果は重要な経路の一つだが、短期金利の変更が中長期金利にどのように、どの程度影響するかは不確実性がある。そこで、先々の政策金利見通しを示すことで、より直接的に中長期金利に影響を与え、政策効果を高める、不確実性を低下させるのがフォワードガイダンスである。
この手法は、おそらく低インフレ、金融緩和環境下で効果を発揮しやすい。2008年のリーマンショック後、多くの中央銀行は政策金利をゼロ、場合によってはマイナスまで引き下げる金融緩和を実施した。政策金利の引き下げ余地には限界があり、ゼロ%から更に大きく引き下げるのは技術的に難しい。従って、低金利政策を将来も継続すると約束することで中長期金利をはっきりと押し下げ、金融緩和効果を高める手法が採用された。
もっとも、フォワードガイダンスは時間的不整合の課題を抱えている。例えば「向こう2年間政策金利を上げない」と約束したとして、もし2年以内に想定外の高インフレが進んでしまったらどうするべきか。基本的に中央銀行は物価の安定を法的に義務付けられており、単純に考えればインフレが進めば利上げをしなければならない。とはいえあっさり利上げすることは「政策金利を上げない」という約束を破ることになり、中央銀行の信頼を大きく損ねてしまう。
そもそも、高インフレを放置することは法的責務の放棄だという前提に立てば、「向こう2年間政策金利を上げない」と約束したところで信じるべき根拠はない。人々は約束は破られると予想することになり、フォワードガイダンス自体に意味がなくなってしまう。ゼロ金利制約に直面するような極端な低インフレ環境下、そう簡単にインフレ率は上がらないだろうと多くの人が考える限り矛盾は生じないものの、そうしたある意味で特殊な環境においてのみ矛盾なく機能するのがフォワードガイダンスである。
オデッセイとデルフィ
あまり一般的ではないかもしれないが、フォワードガイダンスにはオデッセイ型とデルフィ型があると言われる。オデッセイ型は相対的に厳格なコミットメントであり、例えば、「向こう2年間は」、「消費者物価指数が2%に達するまでは」といった条件を設定し、政策運営を事前に拘束するのがオデッセイ型だ。一方、先々の経済物価の見通しを示し、「見通しに従えば政策金利はこのようになるだろうという現時点の考え」を示すのがデルフィ型だ。オデッセイ型は前述のように時間的不整合の問題が大きく、事後的な矛盾を露呈するリスクが高い。一方、デルフィ型は単なる見通しに過ぎないため、先々の政策金利を約束することで中長期金利を動かすという効果は弱くなる。
現時点では、日銀、Fed、ECBともオデッセイ型のガイダンスは示しておらず、展望レポートやSEPのような、見通しベースのデルフィ型ガイダンスが緩やかに運用されているというのが筆者の理解である。
「時間的余裕がある」とは?
さて、2024年10月の金融政策決定会合後の記者会見で、日銀の植田総裁は
時間的余裕という表現は、今後使わないことになるかと思います。
と述べた。
この文脈でいう「時間的余裕」は、元々8月の内田副総裁記者会見における発言に端を発している。7月の日銀の利上げと、米国の雇用統計下振れが(偶然にも)重なったことから、為替や株式市場が一時的に大きく不安定化した。内田副総裁は火消しのニュアンスを強調し、日銀の利上げ見通しについて、
時間的余裕のあるパスが念頭に置かれているということかなというふうに思います。
と説明した。
そしてその後の9月、植田総裁も金融政策決定会合後の記者会見で、
金融資本市場では、アメリカをはじめとする海外経済の先行きを巡る不透明感が意識されていまして、引き続き不安定な状況にあると認識しています。当面は、きわめて高い緊張感を持って注視し、わが国経済の見通しやリスク、見通し実現の確度への影響を、しっかり見極めていく必要があると思います。政策判断に当たっては、内外の金融資本市場の動きそのものだけではなくて、その変動の背後にある、申し上げましたような米国をはじめとする海外経済の状況などについて、丁寧に確認していくことが重要であると考えています。この点、最近の為替動向も踏まえますと、年初以降の為替円安に伴う輸入物価上昇を受けた物価上振れリスクは相応に減少しているとみています。従って、政策判断に当たって、先ほど来申し上げてきたような点を確認していく時間的な余裕はあると考えています。
足元の日本経済のデータは見通しに沿って推移しています。ただし、何度も出てきていますように、米国経済を中心とする世界経済の不透明感、あるいはそれを映じた金融資本市場の動きが今後の見通しに不透明感を与えています。それを総合すると、直ちに見通しの確度が高まった、従ってすぐ利上げだということにはならないというふうに考えています。
と述べた。
すぐ利上げだということにはならないと言われれば、少なくともその次の会合では利上げはしないだろうと当然に解釈される。「時間的余裕がある」という表現は、ある種のフォワードガイダンス、オデッセイ型とまではいかないが、相応に強いコミットメントになってしまっていた。
このようなコミュニケーションは非常に扱いが難しい。7月の利上げ以降、段階的な利上げを進めるという日銀のメインシナリオは変わっていない。ところが、「時間的余裕がある」と言い続ける限り、利上げをしないというメッセージを送ることになり、メインシナリオとの整合性がとれない。かといって、「時間的余裕がある」という発言を単純に削除すれば、その次の会合に向けた利上げの地均しと解釈され、政策を縛ってしまう可能性がある。
「時間的余裕がある」と一度言ってしまうと、言い続けることも取り下げることもミスコミュニケーションを招いてしまうのである。一時的な火消しとして限定的に用いる言葉としては有効だったかもしれないが、繰り返し言い続けるのはリスクが高い。出来る限り早期に取り下げる、それも取り下げることが何らかの政策的示唆にならない形で取り下げることが望ましかった。時間的余裕という表現は今後使わないという選択は正しかったと見るべきだろう。
10月の記者会見で植田総裁は、
利上げのタイミングについて予断は持っておらず、今後、毎回の決定会合において、その時点で利用可能な各種のデータや情報から、経済・物価の現状評価や見通しをアップデートしながら、政策判断を行っていく方針です。
としている。政策運営の自由度を確保した形であり、かなり緩やかなデルフィ型のガイダンスに戻ったということだろう。
利上げ局面と中央銀行のコミュニケーション
政策的な効果を狙ったフォワードガイダンスは、ゼロ金利制約下で利下げ余地がない場合でこそ意味がある。金融引き締め局面では単純に利上げを進めれば政策効果が期待できる筈であり、先々の政策にコミットする必要は本来ない。
仮に、利上げ局面でガイダンスを示す場合「利上げの効果が適切に発揮され、2年後には物価が落ち着くだろう」といった見通しを出さざるを得ない。これでは中長期金利が上がりにくくなり、利上げの効果を弱めてしまう可能性がある。かといって「利上げの効果は十分に出ないのでインフレは落ち着かず、2年後も金融引き締め局面が続く」という見通しを出すのであれば、その時点でより強い金融引き締めを実施しなければ辻褄があわない。極端な利下げ局面、ゼロ金利制約下であれば、金利の下げ余地が乏しく「今もっと利下げすべし」とは簡単に言えないが、利上げ局面ではそうならない。
中央銀行のコミュニケーション円滑化の努力は継続されるだろうが、適切な情報発信をどう考えるかという問題は、一筋縄ではいかない。
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