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『ターミナルはどこですか?』暗中模索の中立金利

日本銀行の利上げサイクルは継続中

  • 今後の金融政策運営は、先行きの経済・物価・金融情勢次第ではありますが、現在の実質金利が極めて低い水準にあることを踏まえると、先行き日本銀行の経済・物価の見通しが実現していくとすれば、2%の「物価安定の目標」のもとで、その持続的・安定的な実現の観点から、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えています。

2024年9月、日銀中川審議委員の発言だ
https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2024/ko240911a.htm

中川審議委員は日銀のいわば「公式見解」を最も正確に表現するスタンスと見られ、この発言もそのように解釈できる。利上げという言葉は使っていないが、今後の経済・物価・金融情勢が見通し通りであれば、政策金利の引き上げを継続していく姿勢を示唆している。

一方、見解が分かれているのが、日銀はどのくらいのペースで、どこまで、金利を上げるのか、だ。

2024年4月の時点で、植田総裁はこう説明している。
https://www.boj.or.jp/about/press/kaiken_2024/kk240430a.pdf

  • 私どもの見通しですと、エネルギー等の影響を除いたコアコアの方でみて頂きますと、25年度、26年度と2%近い物価上昇率の見通しになっています。ですので、これが実現していけば、本当に実現していけば、ほぼ持続的・安定的な2%の物価上昇の実現にかなり限りなく近づくということだと思っています。ですので、特に見通し期間の後半について、この通りの姿になっていくということであれば、そこでは私どもの政策金利もほぼ中立金利の近辺にあるという状態にあるんだろうなという展望は持っています。

見通し期間の後半に中立金利水準に近づいているだろうという見解だ。時期については展望レポートの見通し期間後半、即ち、2026年頃という理解で異論はないだろう。問題は「中立金利の近辺」の意味である。

中立金利

中立金利とは、大まかに言えば、景気に対して拡張的でも緊縮的でもないような金利水準のことだ。植田総裁は2024年5月の講演でこう説明している。
https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2024/ko240508a.htm

  • 実質金利がどの程度緩和的なのかを評価する際には、景気・物価に対して中立的な実質金利と比較する必要があります。この金利水準は、自然利子率r*(アールスター)と呼ばれるものです。直観的に申し上げますと、実質金利がr*より低ければ、家計や企業は支出行動を積極化し、景気・物価を押し上げることになります。逆に実質金利がr*より高ければ、支出行動は抑制され、経済・物価を押し下げることになります。

日銀が推計した自然利子率は、2024年8月のレポートで公表されている。
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2024/wp24j09.htm

自然利子率の推計結果は、実質金利ベースで概ね-1.0%~+0.5%の範囲だ。幅が広いのは、自然利子率は直接観察することが出来ず、様々な仮定を積み上げて推計する必要があるためである。用いる手法によって結果が大きく異なる上、推計誤差を考慮すれば更にバンドが広がる。

仮に実質ベースで-1.0%~+0.5%という自然利子率のレンジを信頼し、更に2%の物価目標が持続的、安定的に達成されると考えるなら、名目の中立金利は+1.0%~+2.5%ということになる。

田村審議委員の誠実さ

こうした背景を順番に考えていくと、2024年9月の田村審議委員の発言は非常に誠実なものだ。
https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2024/ko240912a.htm

  • 見通しが実現していく場合、2026年度までの見通し期間の後半には、政策金利である短期金利は経済・物価に対して中立的な水準、すなわち名目の中立金利まで上昇していることが必要と考えています。短期金利が経済・物価に対して中立的な水準を下回っていると、物価を必要以上に押し上げてしまうからです。

  • 中立金利について、私は、最低でも1%程度だろうとみており、したがって2026年度までの見通し期間の後半には少なくとも1%程度まで短期金利を引き上げておくことが、物価上振れリスクを抑え、物価安定の目標を持続的・安定的に達成する上で、必要だと考えています。

  • 現時点の市場が予想する短期金利の引き上げペースは緩やかです。もちろん、経済・物価の進展次第ではこういった引き上げペースに止まる可能性はある訳ですが、このペースの短期金利の引き上げでは、見通し期間の後半においても短期金利は中立金利に届かず、懸念している物価の上振れリスクを更に高めてしまう、あるいは、後になって急ピッチの利上げを余儀なくされる可能性も否定はできません。

日銀の推計結果、植田総裁の過去の発言を素直に受け取るならば、2026年頃には政策金利は1%以上となるのがメインシナリオであり、それと比較すると中長期の市場金利が低すぎると指摘している。日銀の公式な説明を正確に踏まえ、正直に発言すれば、おそらくこうなる筈だ。

何が間違っているのか?

田村審議委員は、日銀の推計、政策見通し、市場金利の辻褄が合っていないと指摘している。ということは、少なくともどれかが間違っている。選択肢は3つある。

①自然利子率の推計が間違っている。
実際の自然利子率が日銀の推計より低い。すなわち、経済、物価は見通し通りに進むが、利上げの効果がより早く表れることで景気が想定より早く減速し、物価上昇は止まる。従って、政策金利は1%まで引き上げられず、より低い水準にとどまる。

②日銀の経済物価見通しが間違っている。
経済、物価が日銀の見通しよりも弱い。外的ショック等で雇用や企業業績は軟化し、政策金利を中立的な水準まで引き上げることが出来ない。緩和的な金融環境の維持継続が必要となり、やはり政策金利は1%より低位にとどまる。

③市場の金利形成が間違っている。
経済、物価は見通し通りに進み、利上げが継続する。金利は、市場が想定するより高くなり、それでも雇用や企業業績は堅調に推移する。このケースについて付け加えるならば、「金利形成が間違っている」背景が、金利見通しの問題なのか、債券市場の機能度の問題なのかという論点はある。日銀の国債買入によるストック効果が中長期の金利を押し下げており、これが金利スワップ等の他市場にも影響しているという可能性はある。金利水準が低すぎると多くの市場参加者が考えていても、需給が過剰に引き締まっていれば債券価格は割高に維持され、金利見通しが正しく反映されないことがあるかもしれない。

暗中模索

どれが答えなのか、現時点では分からない。何より、日本は過去30年ほど、実体経済に影響するほどのプラスの政策金利を経験していない。データが無いのである。その意味でも、やはり2024年8月の氷見野副総裁の説明が金融政策運営の実情に即している。
https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2024/ko240828a.htm

  • 中立金利の概念は考え方の整理として貴重なものです。しかし、世の中には「中立金利の推計から自動的に政策金利の終着点が出てきて、そこから逆算して政策運営を進めればそれでよい」という見方もあるようですが、わたしはそういう風には思いません。

  • まず、終着点をどの程度特定できるかですが、中立金利の推計はどの推計方法を使っても幅を持った推計になり、そのうえ用いる手法によって結果が違うので、特定の数字をピンポイントで正解といえるわけではありません。しかも、日本の場合は過去30年間短期金利がほぼゼロだったわけですので、その間のデータをもとに今後の経済の反応度合いを判断することには特に注意が必要だろうと思います。

  • 次に、逆算で途中の道筋を描けるかどうかですが、現実の経済は内外の様々なショックを受けながら常に不均衡のある状態から別の不均衡のある状態への変化の過程にあるわけですので、機械的に考えず、そこを踏まえて道筋を描く必要があります。

  • また、例えば政策金利が中立金利の水準に達したとしても、実際には金利を引き上げた結果そこに到達したのか、引き下げた結果なのか、引き上げや引き下げのスピードはどうだったのか、などにより、その時の企業や家計や金融機関の行動は違ってくる可能性があります。線型の経済モデルでは経路依存性はうまく表現できない場合が多いですが、現実の世界ではタイミングと手順次第で結果が変わります。「一定の金利の幅の中では企業や家計や金融機関の行動はあまり変化しないが、そこを超えると変わる」といったこともありうるのではないかと思います。

  • いずれにせよ、少なくとも当面の日本の政策運営については、中立金利の議論からそのまま当面の進め方の答が出るというわけにはいかないように思います。中立金利の推計の精緻化の努力は続け、その結果は参考にしつつも、政策運営を進めていく中で、実際の経済・物価の反応を分析しながら、道筋を探っていくしかないのではないかと思います。

◆補足

ここまでの議論で、自然利子率、均衡実質金利、中立利子率といった概念の詳細には立ち入らなかった。やや古いレポートだが、関心のある方は以下を参照されたい。
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2003/wp03j05.htm
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/lab/lab18j02.htm

自然利子率については、各国の中央銀行当局者がたびたび言及している。
シュナーベル理事(ECB)2024年3月
https://www.ecb.europa.eu/press/key/date/2024/html/ecb.sp240320_2~65962ef771.en.html
ウォラー理事(FED)2024年5月
https://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/waller20240524a.htm
ウィリアムズ総裁(NY連銀)2024年7月
https://www.newyorkfed.org/newsevents/speeches/2024/wil240703

言及が増えているのは、政策判断の事前の根拠として重要だからと見るべきか、政策判断の事後的な言い訳に便利だからと見るべきか、果たしてどうだろうか。

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