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『理性を欠いた批判者』日本の金融政策を歪めたもの

2024年12月25日、日本銀行の植田総裁が講演を行った。12月19日に公表された「金融政策の多角的レビュー」の内容をなぞりつつ、今後の金融政策運営についても言及した。

  • 経済・物価情勢の改善が続いていくのであれば、それに応じて、政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことが必要になる

と、これまでの方針を確認しつつ、

  • デフレ・低インフレ環境に逆戻りすることは、避けなければなりません。

と、2%の物価目標実現への決意を確認している。

とはいえ、日本のインフレ率は2%を超えて間もなく3年になろうとしている。巷間、物価高の評判は悪い。安定的に2%を目指すというのであれば、むしろ利上げを進めてインフレ率を押し下げるべきだという論が台頭してもおかしくはない。しかし、いまだ政策金利は0.25%だ。

この約3年間、Fedは政策金利(下限)を0%から5.25%まで引き上げ、再び利下げに転じて現在は4.25%である。ECBの預金ファシリティ金利は-0.5%から4%まで引き上げられた後、やはり引き下げ局面入りして現在は3%だ。2022年頃のように、政策金利を1回で0.75%動かしたのは例外的としても、例えば半年で1%程度の調整は非常に常識的なスピード感だ。

そうした感覚からすれば、日銀の政策変更は"too little, too late"と言うべきだろう。仮に0.5%、0.75%と利上げに動いたとしても、実体経済に大きな影響があるとは考えにくい

なぜ植田総裁は、日銀は、利上げに慎重なのだろうか。背景を理解するには歴史を振り返るべきかもしれない。新日銀法が施行されて以降の約25年間、日銀の利上げが成功と評価されたケースは、はっきり言って1つもない

ゼロ金利解除の失敗

2000年のゼロ金利解除に対し、植田総裁が当時の政策委員として反対票を投じたことは有名だが、この時の利上げは0パーセントから0.25%への1回限りであり、2001年には再び利下げ、量的緩和政策に転換した。この0.25%の利上げが果たしてどれだけ実体経済に悪影響を及ぼしたか。海外の金融政策運営から類推すれば、ほとんど影響はなかったと見るべきだろう。しかしながら、この2000年のゼロ金利解除に対する批判は苛烈なものだった。以下は、2002年4月17日、衆議院財務金融委員会における、当時の速水総裁に対する山本幸三氏の質問である。

  • 一昨年夏のゼロ金利を解除するときに、私どもは、こんなばかなことをやっちゃいけない、今は逆だ、むしろ金融を量的に緩和してエンジンを吹かさなきゃいかぬ。

  • 結果的に、倒産はふえ、自殺者をふやした、そしてデフレを深刻化させた、その結果を明らかに生んだじゃないですか。それについての責任はどう考えるんですか

  • 倒産して自殺した人は、健全な経営ができなかったから、能力がなかったんだから仕方ないじゃないか、死んで当たり前だ、そう言うんですか。そういう状況が起こっているときに、デフレでいよいよ厳しくなるときに、あなたは逆噴射して、それを一層深刻にしたんですよ。それをしなければ助かった企業だってありますよ。それを思わないんですか。あなたは高給取りで失業の心配はないから、そんなのうのうなことを言えるけれども、助かるかもしれない、しかし、それをつぶした、死なせたことがゼロ金利解除によって起こったということについて、一片の反省もないんですか

  • 国民の、自殺に追い込まれるような人の痛みもわからない、あるいは実質金利、資金調達コストというものの重要性を認識していない、そういう金融政策を続けてもらったら困る。

繰り返すが、ゼロ金利解除時のような微細な金利の変化で実体経済が動くとは到底考えられない。しかもこの時はすぐに利下げに転じており、政策金利が0.25%だった期間は半年そこそこだ。にもかかわらず、速水総裁は、「倒産はふえ、自殺者をふやした」と論難され、「国民の、自殺に追い込まれるような人の痛みもわからない」と人格否定までされている。読むに堪えない、理性と論理性に欠けた暴論である。

ちなみにこの国会質疑が行われた時点で、植田総裁は日銀政策委員として在任中であり、おそらく他人事とみられる立場ではなかった。

リーマンショックは日銀のせい

植田総裁は1998年から2005年まで政策委員を務めた後、東大に移って教授職に就いた。一方、2006年、日銀は量的緩和を解除した。政策金利は0%から段階的に0.5%まで引き上げられたが、2008年のリーマンショックを受け、再び大規模な金融緩和策が採用される。

2006年の量的緩和解除をどう評価すべきだろうか。たった0.5%の利上げにほとんど引き締め効果は無かった筈であり、同様に0.5%から0%への利下げにもほとんど緩和効果が無かっただろう。そして、ゼロ金利下でのさらなる金融緩和効果が限定的なことは、その後の歴史が証明した通りだ。日銀に出来たことは、危機対応としての流動性供給であり、景気、物価を押し上げる手段を持ち合わせてはいなかった。そもそもリーマン・ブラザーズの救済に失敗したのは米国の金融当局であり、日銀ではない。

理屈上はそうであっても、この時も苛烈な日銀バッシングが続いた。浜田宏一氏の2012年のコラムにはこうある。

  • 毎日のように通勤電車を止める飛込み自殺の一部は経済的要因で説明できるが、日銀政策委員会を傍聴した人によれば、日本銀行には金融政策がたとえば失業者、倒産、そして自殺者を増やすという形で庶民の生活に密着しているという意識がないらしい

また、2013年の黒田総裁、岩田副総裁、中曽副総裁、就任記者会見では記者からこのような質問がぶつけられている。

  • デフレが15年間続いてきたとおっしゃっていますが、同じように、自殺者も15年間続いており、3万人になります。国民経済の健全な成長ということと自殺者が高止まりしている状況が続いていることは、金融政策の影響もしくは責任みたいなものはありますか

金融政策が景気に影響するだろうという推測は、一般論としては間違っていない。ただし、どう影響するか、どの程度の効果を持ちうるかという点には普遍性がない。ゼロ金利下でも金融政策が大きな効果を持つという強烈な誤解がかつての日本に蔓延していた。

無責任な批判が招いたもの

何か物事が上手くいかないとき、不満があるとき、その責任を誰か他人に押し付けずにはいられない種類の人間は一定数存在する。そして一部の不見識な学者はこうした見方を助長した。人は信じたいものを信じる。

山本氏や浜田氏、記者等が、自らの放った言葉を今も覚えているのかは不明だが、言われた側が容易に水に流せるかはよく分からない。

経験的には日銀の利上げは必ず失敗する。この場合の失敗とは何なのかを冷静に議論する必要があるように個人的には思われるが、実際には多くの人が失敗だったとみなし、その先に異次元の金融緩和という壮大かつ無謀な実験があった。

筆者は、2024年12月現在、経済物価情勢から考えれば、日銀は粛々と利上げを進めるべきだと考えている。問題はどこまで上げるかであり、今段階で0.25%上げることに対して過度に慎重になる必要はない。

そう思えるのは、世間から人殺しと呼ばれた経験がないからでもある。

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