『メディアと民意』2024年兵庫県知事選挙に思うこと
私はテレビをほとんど見ない。ただ習慣的に平日の昼食時だけはテレビがあり、所謂ワイドショーを見ている。主体的に見ている訳ではないが、個人的にはこの時間を有意義だと思っている。
世界で、社会で何が起きているのかを知る上で私が主に利用しているのはTwitter(ややこしいのでXとは呼ばない)、そして一部の新聞やマーケット関連メディアだ。得られる情報が偏ることは意識しており、バランスを考えるとお昼のテレビは貴重だ。
さて、表題の2024年の兵庫県知事選挙である。予め確認させていただくと、私は公正に行われた選挙結果に難癖をつけようなどというつもりは全くない。選挙結果の尊重は民主主義の根幹であり、顕示された民意が否定されるようなことはあってはならない。その上で、まず私が認識している限りの経緯は、兵庫県知事が不祥事(あるいは不祥事疑惑)をきっかけに辞職し、そして選挙の結果その当該知事が再選されたということだ。関連すると思われるエントリーを以下にいくつか参照させていただく。
ちなみに、上記エントリーでも一部言及されている通り、知事の不祥事に関する県議会での議論は公開されている。
読んだ方の印象はそれぞれだろうが、個人的には以下の議事録、資料は非常に気が重くなる内容だった。
ただ、実際の選挙、投票行動に際し、こうした一次情報を逐一確認した有権者はおそらく少ないだろう。人間は基本的に利己的であり、自身の一票が持つ影響力の軽微さを現実的に考えれば、多くの労力、時間といった情報コストは支払わない。この点でマスメディアが適切に役割を果たすことが一応期待されてはいる。しかし、マスメディアも大前提はビジネスとしての持続性であり、彼らもまた彼らなりに利己的である。今回の選挙報道についてということではなく、一般論として必ずしも十分なガバナンスが働いているとは言えない。特に近年、マスメディアやそれを取り巻く業界全体の信用を問われる事案が目立つように思える。
ソーシャルメディアの発達によって、マスメディアの役割は次第に相対化されている。私自身、ソーシャルメディアを自分で動かし始めたきっかけは、新聞やテレビの一部報道が正しくない、それも目に余るレベルで間違っていると感じたからだ。マスメディアがソーシャルメディアによって牽制されることは基本的に望ましいと考えている。
しかしソーシャルメディアでも人間はやはり利己的である。Twitter、YouTube、TikTokやInstagram等で発信される情報は、基本的に発信者(私を含めて)の利己的動機によるものと見るべきだ。マスメディアが疑わしいのと少なくとも同等にソーシャルメディアも疑わしい。
いずれにしろ、ソーシャルメディアが民意の形成において無視できない存在になっていることは、2024年に行われた複数の選挙で広く認識されたのではないか。今後の選挙では、おそらくあらゆる候補者がこれを戦略的に活用しようとするだろう。結果として、選挙前のソーシャルメディアがどのような光景になるのか、あまり楽しみには感じられない。
最後に、今回の選挙活動におけるSNS運用について、公職選挙法違反が疑われる情報が出ていることを追記しておく。
兵庫県知事選挙における株式会社merchuの問題についての感想
違法行為があったのか否か、現時点では定かではないが、いずれにしろ公職選挙法を理解していればこのようなリスクの高い表現はしないだろう。広い意味での危機管理能力が乏しかったということになろうか。
親切にも公開していただけたように、いかにこうした選挙戦略を立案、実行できるか(あくまで合法的に)の重要性は、おそらく増していく。