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皆さん、こんにちは、カタリストエージェントの勝田です。
2023年の5月、私は50歳を迎えます。人生100年時代と言われる中で丁度、その半分を過ごしてきたことになります。そこでこのタイミングで今までの私のキャリアを振り返ってみたいと思います。この投稿が少しでも誰かの役に立てば幸いです。第1回目の今回は20代編です。

1.ダイエー時代

意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私の社会人としてのキャリアは流通業の株式会社ダイエーからスタートしています。私がダイエーに入社したのは1996年(平成8年)ですが、当時は「流通革命」「価格破壊」という言葉がもてはやされ、それまで一般的であったメーカーが商品価格を決定するという慣行を打ち破り、小売業が価格支配権を握っていくという流れがありました。

その先頭に立っていたのが業界トップのダイエーです。良い品をどんどん安く」というEDLP(Everyday Low Price:エブリデー・ロープライス)をビジョンに掲げ、今は当たり前になっていますが、小売事業者が自らのブランド名で販売する製品であるPB(Private Brand:プライベートブランド)を積極的に開発し、世の中に広めていたのもダイエーが始まりです。

そのようなダイエーのビジョンや革新性に魅せられ、また、当時社長のダイエー創業者の中内 㓛さんの強いリーダーシップやカリスマ性に惹かれて入社したのが経緯です。

ダイエーでは大変厳しい新入社員研修(当時は軍隊式などと言われたりしました)で徹底的に接客マナーや販売の基本を教わりました。また、当時としては珍しく、数百名いる新入社員全員が米国の流通業を視察に行く機会があり、同期の結束や視野を広げる機会も得ました。

研修を経て最初に配属されたのは多くの新入社員同様、現場の店舗でした。私は東京の下北沢店のグロッサリーデイリー課(一般食品部門と日配部門)に配属され、いわゆる生鮮食品以外の食品を全て担当することになりました。

これは膨大な数の商品アイテムを担当することを意味し、一つ一つの商品を覚えるのはもちろん、朝早く出社しての受発注や開店前の商品の品出しなどを行い、営業時間中は常に接客と商品陳列、閉店後は翌朝の準備と本当に朝から夜遅くまで休む暇なく働いておりました。体力的にもとてもハードでしたが、売り場を新入社員でも任せてもらえる中で責任感とプレッシャーを感じながら日々、必死に過ごしていました。その後、八王子の八幡町店に異動となり同様に食品を担当し、合計でダイエーには1年半在籍をしました。

新入社員として入社したダイエーは私の社会人としての基礎を身につけた期間でした。接客を基本とした社会人としてのマナーはもちろん、仕事の大変さや責任感、上司への接し方、パートやアルバイトのマネジメントなどとても多くのことを学びました。これらがその後の私の社会人人生に大きな影響を及ぼしたのは間違いありません。

2.アデコ時代

次に入社したのは株式会社キャリアスタッフ(現:アデコ株式会社)です。
ここから私の人材業界でのキャリアの歩みがスタートすることになります。

当時のキャリアスタッフは、人材派遣業界3位の会社でした。(1位は株式会社パソナ、2位はテンプスタッフ株式会社(現:パーソルテンプスタッフ株式会社)です)1999年(平成11年)世界最大の人材派遣会社であったアデコグループの日本法人のアデコジャパンと合併し、アデコグループの傘下に入りました。

立川支社時代

最初に配属されたのは立川支社です。ここで当時の上司から初めて営業の仕方を教わりました。営業のトークや商談の仕方はもちろん、営業としての心構えやスタンスを教えてくれました。今でもこの上司は尊敬をしており、たまに飲みに行ったりする機会をいつも楽しみにしております。

また、当時の派遣業界の営業スタイルは「飛び込み営業」が主流で毎日50件から多い時には100件の企業を訪問しました。今となってはセキュリティの問題やコンプライアンスの観点からも飛び込み営業はできなくなってきていると思いますが、SNSはもちろん、携帯電話などもなかった当時はこのようなスタイルが主流でした。

この飛び込み営業を通して、私の営業としての基礎が身につきました。具体的には、どんなお客様とも動じずに話せることや顧客の新規開拓の楽しさ、数字を達成していくことの喜びなどを経験し、営業としてやっていける自信が持てた時期でもあります。

立川支社の後半はチームリーダーに昇格し、プレイングマネジャーとして自身も担当企業を持ちながら、初めてチームメンバー4名を預かり、メンバーの育成や指導にチャレンジした時期でした。

吉祥寺支社長時代

2002年(平成14年)4月に吉祥寺支社の支社長へ昇格しました。28歳の時です。支社長として担当エリアのマーケティング、部下11名のマネジメント、支社の売上・利益管理に取り組むことになります。

ここで初めてマネジメントの立場となり、組織作りやメンバー育成についての責任を持つことになりました。

自分なりに試行錯誤しながら、必死に率先垂範を心がけていました。業績自体は良かったものの、「自分が見ている世界とメンバーが見ている世界」が全く違うということに初めて気づき、どうやって部下をモチベートしていくか、自走する組織を作っていくか、という点に日々悩みながらマネジメントの難しさを実感した時期でした。

以上、20代ではダイエーとアデコで働き、どちらも毎日、必死に働いたという印象です。様々な失敗もしましたが、何よりも「意欲」と「行動力」は人一倍あり、その結果、20代でかなり多くのことを経験でき、成長できたことはとても大きかったです。そのことが私の社会人としての基礎を作り上げていきました。

次回は30代のキャリアとしてリクルート時代について振り返りたいと思います。お楽しみに。

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