アーティストが謝るとき
誰が見てくださるか、わかりませんが、すごく言いたいことがあって。文字で書くことでどれだけ伝わるのか、わからないのですが、黙っていられなくて。
最近の傾向だと思います。何か不測の事態が起こって、ライブなりイベントなりが中止や延期になったり、システムの不具合で、グッズやチケットなどを本来買えたはずなのに買えなかった人が出てきたり、そういう時、アーティストが謝るコメントを出しますよね(もちろん場合によっては、事務所だったり主催だったり運営だったりすると思いますが、今回はアーティストの場合を例にとって話をします)。その時に、かなりの確率で、「謝らないでください」「気にしないでください」「〇〇さんは悪くないです」というファンからのコメントがつくんです。それも1人2人ではない。
私はこれに長らく違和感を覚えてきました。その違和感の正体をなんとなく突き止めた気がしているので、この記事を書こうと思いました。
まず、なぜそもそもそういうコメントを書くのか?
わからないので人に聞きました。
返ってきた答えとしては、「推しが謝るなんてとんでもない!恐れ多い!」という気持ちから、というものと、「謝る=自分に非があると思っている、と受け取るから、そこに対して、あなたが悪いのではないから謝らないで」という気持ちから、というものでした。ひとつずつ行きます。
「恐れ多い」という気持ちから、というのは、ちょっとピンとこないのでうまく理解できているかわかりません。殿様と平民みたいな関係っていうイメージが近いのかな。だとしたら、推しがすることはなんでも受け入れて、自分達下々のものに謝るなんてとんでもない、どうぞそのままお続けください、っていう感じなのだろうか。それはそれで感覚として健全なの?と思ってしまいます。まあそれについての是非は論点がずれますので、ここでは深入りしません。推しを盲目的に崇拝したいという心情、ということですね。
次に「自分に非があるから謝っていると思うので、そこは違うよと言いたい」について。うーん、これは具体例がないと話がしづらいですが、じゃあ本人に非があると感じた時は、謝らないでとは言わないってことなんでしょうか。そこまで突っ込んで聞ける間柄ではなかったので聞けていないのですが、ちょっと疑問。そして、この「アーティストが謝るとき」には、本人に非があるかどうかが問題じゃないと私は思うんです。ここからが本題。
アーティストは「ビジネス」である
話をしながら思ったのは、この観点が抜けてる人が多い気がするんです。私はアーティストサイドの人間ではありません。ですので、これはあくまで憶測でしかないです。でも、アーティストがなぜ、謝るコメントを出すかって考えた時、「悪いことをしたと思っている」とか、「ファンに許してもらいたい」みたいな、個人的な感情ではなく(それが全く無いとは言いませんが)、まず最初にあるのは「ビジネスとしての判断」「社会人、大人としての判断」じゃないかなと思うんです。少なくとも、友達との約束を破って謝るのとはレベルが違うと思う。誰が悪いとか誰の責任とか個人レベルの話ではなく、アーティストサイド全部を代表して、顧客であるファンに悲しい思いという不利益をもたらしたことに対して謝る、というビジネス上の判断をしたのではないでしょうか。
例えばコロナでツアーが延期、とかが一番分かりやすいと思う。そりゃ、自分達のせいではないことはアーティストは十分わかっている。でも、ツアーを延期せざるを得なくなったことはファンに悲しい思いをさせたはず。だから、謝る。ここに「自分達が悪いと思っている」という感情は全く存在しないのではと思います。なんなら、そういう姿勢を見せておくことで、ファン離れを防ぐ狙いまであるかもしれない(少なくとも何にもコメントなしでホイホイ延期や中止をしていたら、良く思わないファンも出てくるでしょう、それを防ぐ意図ということです)。
そう考えると、「アーティストが謝る」のを見て「自分が悪いと思って謝っている」と受け取るのは、もしかしてズレてるんじゃないかな、と感じます。ちょっとピュアな受け取り方すぎる、というか。これが違和感その1。
次に、「自分が悪いのではないのに謝っている」ことに対して、「あなたが悪いのではない(だから謝らないで)」というコメント。これは、自分を投影してるんじゃないか、という友人の指摘で、なるほど、と思いました。自分が人に謝るとき、特に仕事や子供の学校関係なんかで多いのかなと思いますが、本当は自分のせいじゃないのに謝らなければいけないということもあるでしょう。きっと、すごく釈然としないし、嫌な思いをしながら、でも表向きは謝るわけです。その時、事情を知る人から、「あなたのせいじゃないのにね。あなたは悪くないよ」と言われたら、きっと嬉しい。だから、アーティストもそう言われたら気持ちが軽くなったり、うれしく感じるんじゃないか、と思って言う、ということですね。これも、上に書いた通り、ちょっとお人好しすぎるというか、気持ちはわかるんですけど、向こうはあくまで仕事としてやっていることなので、そこまで謝ることに嫌な気持ちとか、責められているような感覚は持ってないんじゃないかなと思うんですよね。繰り返しになってしまいますが、自分が悪いか悪くないかではなく、ビジネス規範、社会的通念に照らして、ここは謝るべきところだと判断している部分が大きいと思うのです。それに対してめちゃくちゃ個人感情ベースの「あなたは悪くない」というコメントがついているのが、すごくチグハグに見える。これが違和感その2。
そして、もう一歩踏み込んで私の意見を言うと、そこに感情があるかないかに関係なく、「そもそも謝るかどうか、気にするかどうかはアーティストが決めることであって、外野があれこれ意見するのは違うのでは?」と思っています。そこが、会社の同僚だったり、ママ友だったりに「あなたは悪くないよ」と言われて嬉しい、みたいな関係と、アーティストとファンの関係は違う、というところです。まあ中にはファンとべったりで、ファンの言うことにいちいち影響されるアーティストもいるかもしれないですが、それはそれでプロとして問題があると思う(誹謗中傷問題はもちろん別です)。
「私の推しはきちんと謝ることができて立派!」
ここまで書くと、じゃあ、どういう反応なら違和感がないのよ?と思われるでしょう。これは、あくまで私ならこう書きます、という例でしかないですが、「残念ですが(悲しいのは事実なので、アーティストが謝ろうと思った気持ちは受け止める)、次を楽しみにしています(こういうことがあっても応援している気持ちを伝える)」という書き方をすると思います。ポイントは「アーティストの判断を尊重した上で、応援しているという気持ちを伝える」というところ。心情としては「ここできちんと謝りコメントを出す判断ができた私の推しはさすがだわ!」という気持ちですね。謝らなくていいとか気にしなくていいとは思わない。それはそのアーティストが悪かったかどうかということではなく、社会人として、大人としてそこは謝るべきところだろ、という判断になると思うから。だから、立派だな、さすがだな、と思う。むしろなぜこういう反応が少ないのか私には不思議なんですが……。中には、私が直接知る事例ではないのですが、アーティストが謝らなかったことに対して怒ったファンがいて、その怒ったファンへ非難が集まったという話も聞きます。なんじゃそら。社会人としては本人に責任がなくても仕事に影響が出たら謝るものだと思わないのだろうか、と私はむしろ非難した方の感覚がわからなくて混乱しました。それも自分を投影してしまってるというやつなんですかね。でも、自分はまあそのアーティストのキャラクターとかを考えて仕方ないなあと許せても、怒る人の気持ちもわかるけどね、って反応にはならないんですね……。
まとめ
ちょっと脱線しました。言いたかったのは、「アーティストが謝ることの意味」を履き違えてる人、自分を投影してしまっている人、この2つが多いのかな、という印象だということです。掘り下げればまだ他にもそういうコメントをするファン心理が出てくるのかもしれませんが。
なんというか、時代だなあ、と思います。「優しさ至上主義」と私が密かに呼んでいるものですが、とにかく人を傷つけないことが最優先に置かれる。それが悪いことだとは言いません、ただ時たまこうやって違和感がある場面に出くわすことがある。そこはちょっと違うんじゃない?という。こういうことを言うから、煙たがられるんですけどね。でも、これからもきっと私はこういうことを発信し続けていくと思います。