流浪の民
物心ついた頃から、父親の仕事の都合で度々転居を経験していた影響か、今でもわたしは引っ越しが苦痛にならない。というか、むしろ「引っ越し好き」と言っても過言ではない。
自身が働き始めてからは、就職や結婚、さらには配偶者の転勤などもあり、10年間で6回ほど引っ越しを経ている。そのうち2回は、東日本ー西日本をまたぐ長距離の引っ越しである。この数字が多いのか少ないのかはわからないけれど、運転免許証の裏には常に住所変更の履歴がみっちり、といった塩梅である。
自分を取り巻く環境が変化することは、ひとつのストレスである。わたしの母親は極端にその変化を嫌う性格で、おそらくこの先、実家のあるまちから出て暮らすことなど考えもしないだろうと思う。たとえ他者によるケアが必要な歳に差し掛かったとしても。いつもの道、いつもの店、いつもの人。些細な変化も彼女にとっては一大事のようである。
一方で、わたしは変化にともなうストレスを、非日常の刺激としてたのしめる性格。新居のキッチンの間取りは。新しいまちでの自分の獣道は。最寄駅の電車の発車メロディは。ひとつ前に住んでいたまちには4年半ほどいたのけれど、ずいぶん長居しすぎたような気がしたほど。何丁目の誰々さん、と、人間関係がそこに固着するのも苦手である。血の繋がった母娘とはいえ、まるで農耕民族と狩猟民族ほども異なっているから不思議だ。
人生の中で、見知らぬまちがどんどんと既知の場所に変わっていくのはおもしろい、と思う。パスポートの出入国スタンプが増えていくときのワクワクに近い。だから、配偶者がそろそろ家を買おうか、なんて言い出したことに上手く返事ができなかった。
わたしにもかつて、落ち着きたい時期はあった。ひとり目の子が生まれたすぐの頃だっただろうか。何度も家の内覧に足を運んだ結果、そこで何十年と住み続ける想像もできた。けれど、その当時は家購入への互いの温度差があり、決断にまではいたらなかった。その時に一度冷めてしまった「定住」への決意のようなものは、未だに再燃する機会もなくーーむしろ、その後も順調に引っ越しを繰り返した結果、数年おきの生活の棚卸の心地よさを自覚してしまったこの頃である。
馴染みのまちとのさよならに向けて荷造りをしていると、自分の生活で本当に必要なものを知ることができる。かつて毎日愛用していた直火式エスプレッソメーカーが戸棚の奥に追いやられているのを見れば、日々のモーニングコーヒーはドリップ一辺倒になっていることに気付く。
意識しないだけで、自分もその生活も、否応なく時々刻々と変化している。まち自体も、住人や建物や商いが入れ替わることで、それがごく緩やかなスピードであれーー変わり続けている。ひとつの場所に留まり続けているからといって、揺るぎないものなど何ひとつない。にもかかわらず、どうしても荷物をまとめてしまうのは何故か。その土地にどっぷり浸かりたい気持ちと、一線を画した「旅人」的な存在であり続けたい気持ちと。そんな葛藤を繰り返せば、いつか「旅」の終わりにしたい場所にめぐりあえるものなのかしら。