最近流行りの曲を聴きながら、もしタイムトラベルをすることが可能ならば、いったいわたしは何を望むだろうか、とふと考えてみる。人生のある瞬間に立ち戻って、かつてとは別の選択をすること、し損じたことをやりなおすこと、あるいは躊躇したことに真っ向から挑むことーーそんな心残りがあるだろうかと。 人生で失敗をした経験は、運良く記憶から溢れ落ちたものをわざわざかき集める苦労をせずとも、目の前に堆く積まれている。思慮が浅い人間ゆえ、ずいぶん昔のことながら、今思い返しても赤面するような失
幼い頃から待つということが苦手な性分で、行列のできるお店、といったものに興味はあれどもなかなか足が向くことがない。非常に失礼な、そしてせっかちな話ではあるものの、おひとり様で訪れるライブやコンサートなども、アンコールの途中で一足早く席を立ち、外に漏れ出る音に見送られながら足早に最寄駅への道を立ち去るほどで、余韻を愉しむということよりも混雑を回避したい思いに駆られてしまい、損な性格だとつくづく思う。何よりアーティストへのリスペクトはいずこへ。 今の時期だと、毎年の初詣も、普段
やれ師走。師でさえ走るわけだから、わたしなんて全速力で走る、走る。仕事を無理やり昨日の日付の中に押しこめて、悪筆、常よりさらにふてぶてしく賀状をしたためる。1年ぶりに紙片の上で(或いはもうこの10年以上も)顔を合わせていない彼や彼女と再会し、近況を綴ったり、気にかけたり。他の月々と変わらず、1年の12分の1にすぎない期間でありながら、行く末来し方について考え、身の回りをあらため、しまいにはお重を引っ張り出して煮炊きまで繰り広げる。もはやこのご時世、取捨選択することもできよう営
子どもの頃は、早く大人になりたかった。進級しても進学しても延々と終わりなく続く学校通いは好きになれなかったし、なにより自分の意思で環境やら行動を変えることができない、無力な日々に飽き飽きしていた。着るものも、食べるものも、行く場所も、会う人も、何もかもすべて自分で決めたかった。まあ列挙したことの半分くらいの裁量は子ども時代にも与えられていただろうけれど、とにかく誰かに迷惑を掛けない範囲において、何者にも干渉されることなく過ごしたい。鳥籠の中で、外の世界を眺めては果てしなく広が
世の中のものさしではかると、わたしもいよいよ「いい大人」とされる年齢に差し掛かっている。(本当はそんな尺度は好きではないが)平均初婚年齢を上回り、そして自らも2人の子を成し、やれ小学校の役員だの、教育費の積立だの、それなりの責任も背負っている。普段は意識しないけれど、ふっとした折に、肩にのしかかる重みに顔をしかめることもある。でも次の瞬間には、やはり何事もなかったかのようにまた歩きはじめる。「大人」のみちを外れないように。 それなのに、わたしは未だに「自分は何者か」という問
かつて、瀬戸内のあるまちに住んでいた。 凪いだ海では色とりどりのフェリーが、ねむたい汽笛を鳴らしながらのんびりと島々を行き来している。鷹揚なまちで、路地裏ではいただきさん(魚売り)が投げてよこした魚のあらに、どこからともなくしっぽをひらひらやってくる猫。商店街の角の肉屋さんのコロッケを揚げるこうばしい香りに誘われる制服の学生たち。 台風の時期をのぞけば、どの季節も気候は穏やかで、夏も日差しの強さはあれど、都会にありがちな身体にまとわりつく熱気はない。からりとした冬には
気を抜くとつい、うつらうつらしてしまうような褒められない大人である。もともと多く睡眠を欲する体質で、大人仕様の時間で生きていると、絶対的に寝が足りなくなってくるのだ。夜更かしを覚えた学生時代は、午後の授業を大海に漂う流木のような覚束なさで過ごしていた。聞き慣れない単語の羅列の波にさらわれて、ふっと意識が遠のいてしまうのだ。いまでも、会議や慶弔ごとなどの大事な場面で、波に飲まれやしないかとひやひやしてしまう。 ところが、上の子に比べずいぶん繊細な我が家のあかんぼをみていると、
晴れた金曜の昼下がり、子どもふたりを連れて、地下鉄に乗っていた。水族館の帰り、はしゃぎ疲れてぼんやりしている上の子と、目が覚めかけてかすかにぐずり始めるあかんぼ。そろそろあやしどきかな、とベビーカーに手を伸ばしかけたとき、ふと通路を挟んだ向かいの席の人たちが目に入った。 あれ。いや、まさか。でもそっくりだなーー。その次の瞬間、目が合うと、向こうも驚きではっと息を飲んだのがわかった。互いに相手の名前を思い出すのが追いつかないくらいのほんのゼロコンマ数秒の間で、頭の中で小さな生
物心ついた頃から、父親の仕事の都合で度々転居を経験していた影響か、今でもわたしは引っ越しが苦痛にならない。というか、むしろ「引っ越し好き」と言っても過言ではない。 自身が働き始めてからは、就職や結婚、さらには配偶者の転勤などもあり、10年間で6回ほど引っ越しを経ている。そのうち2回は、東日本ー西日本をまたぐ長距離の引っ越しである。この数字が多いのか少ないのかはわからないけれど、運転免許証の裏には常に住所変更の履歴がみっちり、といった塩梅である。 自分を取り巻く環境が変化す
新しい部屋は川のそばで、夜が明ければ、やわらかい光がベッドルームに惜しみなく流れ込んでくる。以前住んでいた、コンクリート・ジャングルのまちでは考えられなかったことだ。わたしはそっとベッドをすりぬけて、寝ぼけ眼でケトルをコンロにかけ、コーヒーミルでがりがりと豆を挽く。とろとろとまあるくお湯を注ぎ、芳しい香りを思いっきり吸い込む。一日の中で唯一与えられた、自分のためだけに使えるひとときを、ゆっくりとコーヒーを淹れることに費やす。全粒粉の食パンにたっぷりバターを塗ったトーストも焼く
物心ついた頃から、何となく喉に違和感があるような、お腹がごろごろするような、心もち体温が高いような、でも病院にかかるほどでもない、わずかな不調のある朝をむかえることがあった。少しくらい踏ん張れば、どうにか乗り切れそうなものばかりではあるが、生来根性なしだったわたしは、表情をくもらせ、2割増しくらいの症状を母に訴えた。 少しばかりの応酬を重ねた後、「本日はお休みします。大事をとって」というような、園や学校へ連絡をする母の声をきいた途端、大抵は喉やお腹の症状(あるいは頭痛や
自分のちっぽけさをひしひしと感じる夜は、布団をかぶって早々に眠ってしまうに限る。けれど、そう上手くいくばかりとは限らないで、もやもやとした重たい気持ちが邪魔をして、まんじりともせず空が明るくなってくるのを眺めながら朝を迎えてしまうこともある。 そんな時、わたしはある「遊び」に興ずることにした。 今抱えている仕事や人付き合いがどれもうまくいかないときには、何のしがらみもない新しい場所でひとり、生活をはじめることを考える。温暖な土地がいいかな。ひとしきりGoogle Maps
ここ2ヶ月ほど、お酒を一滴もたしなんでいない。お酒については、個々の体質や個人の嗜好によりけりというところが大きいけれど、少なくとも20歳以降(としておく)のわたしの人生は、ほぼお酒ならびにお酒のお供となる肴とともにあったと言っても過言ではない。2ヶ月前までの自分にとって、飲酒は歯みがきやラジオ体操のように染みついた習慣のひとつであり、健康診断前夜とわかっていながらも、手が勝手に冷蔵庫を開け、指が勝手にビールのプルタブをぷしゅっと捻る。そんな塩梅であった。 いろいろな事
悔しいと、ひとりでに目から熱いしずくがぼろぼろと流れ出てくる。泣きたい気分などではない。でも、そんなことはお構いなしに涙は両目から溢れ、睫毛を濡らし、頰をつたって、ぽたぽたと手元に落ちてゆくばかりなのであった。昔からずっと、そうだった。怒っているとき。歯がゆいとき。地団駄踏みたいとき。負けん気を起こしているとき。自分の気持ちが揺れてどうにもならなくなると、なぜか膨らんだものが込み上げてくるのだった。大人になった今でも相変わらず、そんな自分の生理現象に辟易させられ続けている。
毎年、決まって訪れるまちがある。海のそばで、人の気配はたくさんあるのに、まち全体に静かな時間が流れている。今年もそこに出掛けて、ただぼんやりとそのまちの空気を吸って、海を眺めて、路地裏に猫の姿を追いもとめて、小さなアイスクリームをたべた。訪れるたびに、いつかここで暮らしてみたいものだという気持ちになるけれど、そこで毎日寝起きするようになると、こうして毎年恋しくなるようなまちの空気や色や何もかもがやがて見えなくなっていくのだろうということもわかっている。当たり前になることで、感
とりわけ暴飲暴食や、気に病むことの心当たりがないのにもかかわらず、胃がしくしくと痛む日々が続いた。しくしくと、というほどのものでもない。どちらかというと、少し気怠いような、ずんとくるような、身体の中心が嫌な雰囲気。いつものドリップコーヒーも、普段通り淹れたものをお湯で割ってみるものの、何となく重たくて受け付けないので、どうにも気分もぼんやりしてしまう。かつては、お腹をくだすということはあれど、胃痛とはほぼ無縁な人生だったので、自分の母がしょっちゅう胃痛を訴えているのも、ただ気