いるような、いないような
金魚のような華やかな赤の、有田焼のドリッパーを買った。円錐型のそのドリッパーにペーパーフィルターをのせて、コーヒー豆の缶を開ける瞬間がいちばん好きだ。年明け、親類にコーヒーの淹れ方をならったのを機に買い足したドリップケトル、しゅうしゅうとささやく湯を注ぐひとときもわくわくするけれど、湯にさらされる前の、ひきたての乾いた豆の香りを思いきり吸い込む瞬間にはかなわない。まるでおやつやレジャーシートの塩梅を何度も確かめる遠足の前夜のように、コーヒーが「コーヒー」たる前の頃がいとおしい。
真っ暗な午前3時、不穏な気配がうっすら残っている部屋の中で、ひとりはっと目が覚めることがある。眠りの名残ごと、心の安らかさを絡めとられてしまった夜は、冷える足先をなだめ、空が白むのをひたすら待つしかない。道に迷って、最後は必ず袋小路に阻まれてしまう夢。行きつ戻りつを経て、ようようあらわれた新しい景色に安堵しかかるものの、角を曲がった瞬間――そこには待ち構えていたとばかりに、見慣れた行き止まりがあらわれる繰り返し。逃げようったってそうはいかないよ、と、鼻で笑われるのだ。
身軽になりたい一心で、たくさんのコートを、装身具を、本を、売り払った。大切だったはずの周りのものたち、気が付けばお互い、ひとところに縛り付けあってしまったせいで、錆びついて身動きがとれなくなってしまっていたから。山ほどあった「もの」とさよならをして、ゆるく――その見栄えとは裏腹に、かなりの強制力をしたがえている――SNSたちとも、しばしお別れをした。そうして「ひと」とも「もの」とも距離を置いてみると、さっぱりした心持ちになったおかげか、悪い夢を見る夜も心なしか減ったようだ。
先ほどまでぐらぐら沸き立っていた湯を注ぐと、豆はどんどんとふくらみ、平和な冬の野原の香りは、立派に湿り気を帯びて、なまなましいものにかわる。そのあらあらしい変容に魅了されるかたわら、なぜか取り返しのつかないことをしてしまったかのような後ろめたさに苛まれる。毎朝、ほんの少しだけそのような逡巡を経て、それでもこれからはじまる日を生き延びること、と、腹をくくる。少しだけ身軽になった部屋に鍵をかけながら、ここに戻ってもいいし、新しい場所にも行かれる、という思いを込めて、誰ともなしに「いってきます」というのだ。
※20180228 削除してしまったので再掲