いとおしい、いとなみ

花の一人暮らし生活は、いざ始まってみれば下働きばかりで、帰宅するのはきまって夜半前という味気ない日々と相成った。多聞にもれず、冷蔵庫の中身は缶ビールとバター1箱きりといった塩梅で、唯一椅子に座って食事のできる夜は、家の近所のカウンターばかりの小料理屋の灯りに吸い寄せられていた。ハイボールに少しばかりの惣菜をアテに、お腹を満たす。店にはやはり、同じように下働きの知り合いがそこにいて、最近どう、ぼちぼち、といった具合に、仕事で凝り固まったものをほぐして帰宅するのが常だった。

思い返せば、その頃は「学校」という客船からいきなり大海に放たれて、途方に暮れている状態であった。方角も分からぬまま大波に流され、鮫に威嚇されることもしばしばで、ずいぶんと疲弊していた。慣れない町のその店で、暖かいものを腹におさめることで文字通り「食いつないで」いたのだ。しかし、当時は「その時間にやっているまともな店なんてそこだけ」くらいのいう意識でしかなかった。その証左に、精神的にいくらギリギリとはいえど、足しげく通っていたその店で食べたものは何一つとして覚えていないというひどい有様である。

それからずいぶんと経ち、わたしは今、毎日包丁を握る生活をしている。仕事で嫌なことがあった日も、知人と何となくぎくしゃくした日も、腹は減る。いや、たとえわたし自身が食欲不振であっても、同居している者たちの腹の虫はそうではないから、という表現が正しいか。米を研いで、水に浸す。出汁をとり、味噌を溶かし、ねぎを刻む。鯵のはらわたを抉り出し、3枚におろす。豆腐の水切りの合間に、生姜をすりおろす。工程は違えど、日に数度はとりおこなう。冷蔵庫の中の卵の個数を気にかける。牛乳の消費期限を思い出そうとする。

繰り返していくよりほか、ないのだ。ここで、一緒に生きている人びとの腹を満たすことよりほかに選択肢はないから。店屋物で済ませた次の日は、やはりじゃがいもの芽をとらねばならない。旅行から帰れば、もはや蕎麦を茹でる湯を沸かすしか手立てはない。たったそれだけのことだが、あるときそれに驚き、圧倒されたことをおぼえている。その日の金を稼ぐ仕事は変えられるし、人と人とのことだって、揃いの茶碗をつかう相手さえ決して移ろわない保証はない。しかし、やがて身となるものをやりくりする営みは(その規模は変われど)決して免除されることなく、後生ずっとつきまってくるものなのだ。

飾り包丁で美しく形どられた珍しい野菜も、舶来品のスパイスで香しい風味を漂わせる煮込みも、それを腹におさめる人の心を潤すに違いない。しかし、わたしはそういった豪奢なものものによって生かされているのではない、と今になってみればわかる。既に何千回、何万回と経てきた平凡な営みにも決して倦んだ気配をみせず、前掛けをつけ、とんとんと何かを刻む、その代り映えのしない積み重ねのなしたもの。そのやさしい温度を自らに取り込んで、血を通わせてこられたのだということに気付けて、ようやく漂流の日々から抜け出られんだな、と、ぼんやり実感している。

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