世界がオーケストラであれば

物心ついた頃から、何となく喉に違和感があるような、お腹がごろごろするような、心もち体温が高いような、でも病院にかかるほどでもない、わずかな不調のある朝をむかえることがあった。少しくらい踏ん張れば、どうにか乗り切れそうなものばかりではあるが、生来根性なしだったわたしは、表情をくもらせ、2割増しくらいの症状を母に訴えた。

少しばかりの応酬を重ねた後、「本日はお休みします。大事をとって」というような、園や学校へ連絡をする母の声をきいた途端、大抵は喉やお腹の症状(あるいは頭痛や発熱)はすっとうすらいで、コップの水に数滴垂らしたミルクみたいな、もやとも呼べないわずかな名残をとどめるだけになるのだった。世に言う仮病のひとつかもしれない。毎年片手で数えるくらいは、そんな日があった。

ずる休みをした日は、少し後ろめたい。そんな話をよく聞く。けれど、わたしのそんな不調めいた一日は、全然やましくなんてなかった。あんまり回復したところを家の人に見つかれば、園や学校に行かされるから、ただ目を閉じて布団に横たわっているのだけれど、外からは実にいろんな音が聞こえてきた。鳥の鳴き声。近所の人の立ち話。車売りのパン屋さんのメロディ。自転車のベル。子どもがぱたぱたかけて行く足音。工事現場の規則的な作業音。走り去るトラックの振動。

そんな空白の一日は、今となって思えば自分に許された息継ぎの時間であった。毎日毎日、はみ出さないように気をつけながらの集団生活を繰り返してくたびれると、羽を休めることりのように、ひっそりと輪から外れて隠れることをした。勉強や友達が嫌いなわけではない。でも時に、隙間なく重ねる毎日の重みを、身体から発する弱々しいシグナルとともに感じることがあったのだ。

大人になってからは、年に数度も仮病で仕事に穴を開けるわけにはいかないが、重い風邪で横になっている午前中など、普段意識をしない外界の音とともにあの甘やかな息継ぎの一日を思い出す。だからわたしは、皆勤賞なんてもらったことはなくて、通知表の出欠の項には、ちらほら欠席日数が散らばっているような子どもだった。一日たりともかかさず、という類のものは今でも苦手で、部活動など世にもおそろしい集団と思っていた。

続いていく日々の中で、自分のパートには時々長休符があって、まわりのひとの音に耳を澄ませられる時間があるといいのに、なんて身勝手なことを嘯いてみる。外れた音を出さないことに精一杯なわたしは、自分の奏でる音が周りに溶け込んでしまって、どの小節を演奏していたのかさっぱりわからなくなることが、しょっちゅうある。


#エッセイ #似非エッセイ

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