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エッセイ|釘抜き、使いな。
「あんた、さっきもまだ釘抜きしてたねえ」
ある冬の朝のことだった。
都内某所にある会社の裏手で作業をしていたとき、そんな風に声をかけられた。
その日、わたしは不要になったパレットの解体をしていた。
パレットというのは、空調など大型の電化製品を運搬するとき、製品の上下を固定し、運搬するための木枠のことだ。長細い板を、すのこ状に組みあわせた箱のようなものである。
そのパレット、使用後は解体し、「燃えるごみ」として処分する。もったいない気もするが、質の悪い木材なので再利用はむずかしい。ただし、板と板を組み合わせるのに釘が使われており、釘は「燃えるごみ」としては出せないので、抜かなくてはいけない。
そんなわけで、わたしはパレットを鋸で分解し、細切れになった木材をひっくりかえし、使われている釘のとがったほうをトンカチで叩き、出てきた頭をペンチでひっこぬく……という作業を、延々と繰りかえしていた。
その作業中、前を通りがかったおばあちゃんが声をかけてきたのだ。「あんた、さっきもまだ釘抜きしてたねえ」と。
フィンランドの有名な絵本『ムーミン』に出てくるミィのような髪型のおばあさんだった。お団子にした髪、すこし鋭い目つき、大きく曲がった腰。声はしゃがれていて、口調はきつめ。ミィでないなら、魔女のおばあさんとでも名づけたいところだ。
急に声をかけられたわたしは面食らった。
作業に熱中しすぎていて、おばあさんが自分に声をかけているとは思わなかったのだ。
(さっきってことは、さっきも前を通ったのか)
そういえば、じろじろとこちらを見ながら歩き去っていったミィのようなおばあさんがいたような、いなかったような。
「長々とうるさくしてしまって、申しわけないです」
我にかえり、手を止めて頭を下げる。
住居が密集した地域で、近隣にはふつうに家屋が並ぶ。鋸でパレットを切ったり、トンカチで釘を叩いたり、出てきた釘をペンチでギギギッと無理矢理ひっこぬく音は、たいそう響きわたっていた。
ご近所迷惑になっていたのかもしれない。
心配して言うと、おばあさんは「ふん」とばかりにわたしの手元をにらみつけ、つづけた。
「釘抜き、使いな。釘抜き。簡単に、ひゅっと終わっちゃうからさ」
それだけ言って、ふいっと顔をそらして歩きさっていく。
わたしはまたも目を丸くするはめになった。
まさか腰の曲がったおばあさんが、熟達の鉄工マンのごとき助言をくれるとは思いもしなかったのだ。
実際、ふつうならここは釘抜きを使うところだ。なぜ、そうしないかといえば、釘抜きが工具箱から消えていたからである。どうやら社長が工事現場に持っていってしまったらしい。
そんなわけで、トンカチとペンチを駆使して、あの手この手で釘をひっこぬこうと格闘していたのだが、それを見られてしまったわけだ。
時計を見ると、作業をはじめてもう一時間。
パレットをひとつ解体するのに、やっと一時間だ。
釘抜き、使いな。釘抜き。
(釘抜きないんです、魔女おばあさん)
わたしはなんだか楽しい気分になって、また「ぐぬぬぅ」と釘をペンチでひっこぬく作業をつづける。
その会社につとめはじめて、一年弱。未熟ながらに、効率よく仕事をするため、試行錯誤をしていたころの出来事だった。
それから、二年。
その日もわたしはパレットを解体していた。地べたに腰かけ、昔よりも油汚れの増えた作業着を着て。
やっぱり、釘抜きはない。社長の車に積まれたまま、あちこちの現場を行ったり来たりしていているようだ。
「ほっ、よっ」
それでも手ぎわはだいぶよくなった。手早くパレットを鋸で切り、分解する。釘を裏側から叩き、頭を出させる。あとはペンチでテコの原理を使い、ギィッと釘をひっこぬく。
二十分もしないうちに、パレットはただの木材と、錆びた釘とに分けられた。
あとは、板をビニール紐でひとまとめにし、事業者用のゴミ処理券をぺたりと貼って、曲がった釘を不燃ゴミのバケツに入れるだけ。
「手ぎわ、いいもんだねえ」
ふっと、座って作業をするわたしの顔に影が落ちた。見あげると、二年前と姿の変わらないおばあさんが立っていた。
その瞬間、二年間の記憶がとめどなく脳裏をよぎった。
楽しいこともあったが、つらいこともたくさんあった。失敗もしたし、「わたしは成長できているのだろうか」と暗い気持ちで自問したこともあった。
成長できたかはわからない。
けれど、すくなくとも釘抜きに関しては、お墨つきをもらえたみたいだ。
「ありがとうございます! うるさくしてごめんなさい」
嬉しくて、誇らしくて、ばかみたいに満面にほほえんで言うと、おばあさんはまた「ふん」と顔をそらして去っていった。
次の目標は、十分以内のパレット解体。
でもそろそろ、自分用の釘抜き、買ってみようか。
(おわり)
かつて勤めていた建設業関係の会社での実体験をもとに。