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大学生活記録_1.2ー鬱の原因ー


このシリーズの目次

  1. 大学生活記録_1.0ー序章ー

  2. 大学生活記録_1.1ー鬱の症状ー

  3. 大学生活記録_1.2ー鬱の原因ー★今回★

    1. 多忙

    2. 拗らせた人間関係

  4. 大学生活記録_1.3ー今の私とこれからの私ー


原因

今日は、私がうつになったであろう原因について整理したいと思う。前提として、「これだ!」という確信めいたものはまったくもってなく、あくまでも推測の域を超えない。また、実際に、今から語る原因は一要素にしか過ぎないし、そこまでに至るあらゆる自身の選択がもたらしたものであると考えるので、だから「○○は絶対悪」だとも断言するつもりまったくないことをご了承いただきたい。 さて、本題の精神的にまいってしまった理由は様々考えられるが、結論としては、「多忙」と「拗らせた人間関係(決定打)」によって自分が分からなくなってしまったことにあると思う。

多忙

当時、後輩の就職活動のサポート、2つの学生団体での中心者(実質の代表)、3つの学内バイトの掛け持ちなど、多忙を極めていた。毎日、毎時間、それぞれのタスクに追われていたし、もっと活動を良くするためにできることがないかと四六時中、頭を巡らせていた。知り合いの社長の方が、サラリーマン時代と起業した後の違いで「24時間、経営者としてずっと自分のビジネスのことを考えていること」と言っていたのを思い出す。前提は違うが、この言葉ように、ずっと行っていた活動を中心に思考し続けて、自分とゆっくり向き合う時間の優先順位を下げていたと思う。

拗らせた人間関係

ただ忙しいだけであれば、これまでにも同じくらい多忙な時期があった。しかし、なぜ他の多忙な時期ではなかったのだろうか。その要因は、当時の人間関係にあるのではないかなと推測する。 もともと人間不信的な素質を持ち、人間関係を主観的には拗らせていること節がある。もしかすると、幾度となく知らないところで様々な方を悲しませることもあったのではと思う。話を戻しこの時期、私には様々な組織で共に活動する仕事仲間がいた。彼女とは大学1年生からの付き合いで、詳細は省くが、1年生の時には自身の未熟さが要因で彼女には多大な心配と負担をかけてしまった。私自身、「反省はするが後悔はしない」という自戒を持ち、失敗の度に反省はするが長く引きずる後悔をしない、過ぎたことは反省をしたうえで「過去」として切り替えてきた。そんな私が、大学生活で唯一といってもいいほど後悔し、「過去」にできていないことが、この1年生のときの彼女とできごとであった。また彼女には、就職活動など様々なタイミングで非常に支えてもらい感謝が尽きない。この後悔と感謝もあって、彼女には幸せになってほしいと心から願い、私にできることがあれば何でもしたいと思っていた。それは、大学最後のこのタイミングにおいても変わらなかった。お互い違う活動でも忙しく、特に彼女は役職を持っていたこともあり日々、非常に大変そうであり、私と話す彼女はいつもしんどそうな表情と愚痴をこぼしていた。そんな彼女の「辛さ」を少しでも減らせるように共通の活動では彼女の負担をへらせるようにと努力した「つもり」であった。しかし、それは空回りであり、私の思い違いだった。私は、彼女の本当の「辛さ」の正体も知らないままに、努力した「つもり」であったのだ。実は、彼女の辛さの正体は紛れもなく「私」であり、「私」という存在と関わること自体が「辛い」と告白されたときは、頭が真っ白になった。彼女曰く、私が献身だと思って行ってきた全ては彼女と私の間にあったであろう軋轢による辛さを彼女に思い出させ、彼女を苦しめていたという。そっか、、、私自身が彼女の「辛さ」の原因であり、いくら私が献身した「つもり」であっても全てが無意味であったんだと悟った。この空回りから、私は私のすること全てが無意味、いやむしろ悪であったのではと考え、何のために私が活動しているのか私という人間を見失ってしまった。 もともと傾向として出ていたものが、最後のドミノが倒れるように、ゆるぎない事実としてうつ症状として表れていった。この勝手に自身で拗らせた人間関係が私のうつの決定打となったのではと思う。

追伸

「去る者は日日に疎し」というが、私はこの「去る者」になるべきだと思う。幸いにも、このとき卒業まであと間近だったということもあり、私は、うつの症状を言い訳に全ての活動から身を引いた。私と関わりを絶つことで、早く彼女にとって「去る者」になれるように、彼女の辛さがなくなりますように。

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