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使う言語が違う人たち

 自分の常識が通じない相手を揶揄して「日本語が通じない」と言う人がいる。
 今回はそういう話をする。

 我が愛しの弟の話をする。
 経歴をあんまりつぶさに喋ると身バレしてしまうので隠すが、一流私大に入学して海外留学を経て、今は外資系の会社で働いている弟だ。
 基本的に、よくできた自慢の弟である。まるでダメなお姉ちゃんをよく気にかけてくれている。

 ただ、彼が扱う言語はまさしく、日本語じゃない。

 海外での経験が価値観を塗り替えたか、そもそもの本来の性格なのかはさだかでないが、ここんところ特に話が通じない。
 わたしが今回話したい「言語」って、日本語とか英語とかイタリア語とかの話じゃない。
 いわゆる、その人が言葉を織りなすために使う思考、の話だ。

 人間は多面体なので一概には言えないが、弟はとにかく合理主義だ。
 無駄(と本人が思ったこと)を嫌い、効率と筋トレを愛する。

 弟は本をよく読むが、小説をほとんど読まない。
 物語が嫌いなわけではないだろうが、趣味じゃないのだろう。
 だからか、物語を好み、あまつさえ自分で生み出すわたしとは、よく会話が成立しないことがある。

 先日、弟が家族ラインで母親にちょっとした暴言…とまでいかないが、少し母親が傷つきそうなワードを投げていた。
 わたしが指摘したところ、すげえ的外れな言葉が打ち返され、あ、こいつとは会話成り立たん。と思った次第である。

「姉ちゃんのアイコンでなんにも頭に入ってこねえわ(笑)」

 わたしのラインアイコンについては割愛するが、今そういう話してないよね、君が放ったワードをおうむ返しに三点リーダつきで返信した母親が、たぶんけっこうショックを受けている、というのが理解ないしは想像できないだろうか? と思ってしまった。
 その返しにあまりにも脱力したので、もうそれ以上の追及はやめた。

 弟自身はけっこう強い言葉で他者(家族)を非難し自分の尊厳や権利を主張するわりに、そういうところが鈍感なのである。

 これが思考とどう関係するのかと言うと、つまり、「自分の考えは最適化されているのだから、皆も理解してくれる。この言葉を使ったところで傷つきやしないだろう」という、自信過剰な他者の自己理解に裏打ちされた謎の確信を持っているからなんだろうな、と思った。

 外国の価値観がどうだとかあげつらったり、日本がとかアメリカがとかイギリスがとか言う気はない。これは国民性ではなく弟の問題だからだ。
 弟は根本的に、人を気遣うベクトルがずれていて、自分が正しいという信念のもとに動いているので、他者と齟齬が生じてしまうのは、姉から見ていて絶対的に確実な気はしている。

 家族だから少し気を抜いているのかもしれないが、家族だって血のつながった「他人」であり、心ない言葉を投げつけられても息子からだから傷つかないとかは絶対にないのである。

 もちろん、家族という小さな社会でだけ伝わるミームなどはある。
 けれど、気遣いという点に関しては、内なる家族でも、外の社会と同じくらいの注意は払ってもらいたいな、と思う。

 弟が、友達との会話でも母に投げた言葉を使っているならもうそれは本人の欠陥なのでどうともしがたいが、きっと友達にはそういうふうには言わない。
 けっこうそれくらいひどいことを、彼は言ったのである。
 身バレ怖いから具体的なことを何ひとつ言えない小心者の姉を、どうか許してほしい。

 ちなみに、弟は「留学から帰ってきて、ジョークがめちゃくちゃつまんなくなったよな」と家庭内でもっぱらの評判である。
 これについては、姉としては「もともとそんなおもろなかったぞ」という思いがあるので、わたしは特に口を出していないのである。

 個人の価値観で「これを言っても相手は傷つかない」「こうすれば相手は喜ぶ」みたいなのを決めつけるのは怖いことだ。
 小学校とかで「自分がされて嫌なことを相手にするのはやめましょう」なんて教えられるけど、それだって相手がどう感じるか次第なので難しいのだ。
 自分が嫌じゃないから相手にもしていい、というその行為が、相手にとっての地雷だったりもするからね。
 だから、同じ言語話者でも話が通じないことは当然多々あり、それは、その人が生きてきた環境で培った、価値観なのだ。
 強く否定してはいけないが、自分が嫌なことは相手に言わなくては伝わらない。

 察してと言うのはちょっと傲慢なのであるが、今回のようにきちんと言葉にしたところで取り合ってもらえない価値観も存在するのだな、とちょっと落胆もしている。
 人と人はどれだけ近しかろうが所詮他人で、永遠に分かり合えない生き物である。

 ちなみにわたしは、NTRからの快楽堕ちが地雷です。

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宮崎笑子
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