新約聖書における携挙 ... Part.2
携挙という言葉は、日本語訳聖書では使われていないが、原語(ギリシャ語)で聖書を開くと、ハルパゾー(意味:引き上げられる、取り去られる)という言葉が複数登場する。旧約聖書にもキット、ギリシャ語のハルパゾーに相当する言葉が存在するに違いない。ここでは新約聖書に登場するハルパゾーを幾つか紹介する。
1. パウロ
この手紙の著者であるパウロは、ある一人の人を知っていますと書いているが、ある一人の人とはパウロ自身のこと。パウロが第三の天にまで引き上げられましたという節の引き上げられでハルパゾーという言葉が使われている。ギリシャ語聖書をお持ちの方は御自身で確認してみてほしい。
ここで記された第三の天とは、神や天使が住まう異次元の空間を指す言葉だ。ちなみに第一の天は、鳥が飛ぶ空間、つまり私たちが住む大気圏を指し、第二の天は月星が宿る空間、つまり宇宙を指す。
パウロは文字通り、神御自身によってハルパゾーされた(引き上げられた)経験がある。
2.ピリポ
使徒言行録に登場するピリポもまたハルパゾーされた(引き上げられた)経験を持っている。ピリポが宦官に洗礼(バプテスマ)を授け、水から上がってきた時、主の霊がピリポを連れ去られた。この連れ去られたという言葉が原語では、ハルパゾーである。この場合は、縦方向、つまり天に引き上げられたというより、横方向、同じ時代の別の場所に移されるというハルパゾーだった。
3.イエス
これは黙示録の一節。黙示録は啓示文学とも呼ばれ、象徴的な表現が多く見られる。この箇所の女は、国としてのイスラエルを象徴している。生まれた男の子は、イエス・キリストである。鉄の杖は物理的な力を伴った権威のこと。そのイエスは十字架に架けられ、死んで葬られたイエスが三日後に復活された。その後、弟子たちの見ているその前でゆっくりと雲に包まれ昇天される(使徒1:9-10)。その子は神のみもとに、その御座に引き上げられたは、その様子を表した一節である。この場合のハルパゾーは「一瞬のうちに」ではなく、時間をかけて、ゆっくりと引き上げられた。イエス御自身も父なる神の力によりハルパゾーされたのだ。
さて皆さんは、父なる神だけでなく、悪魔と呼ばれるサタンもハルパゾーできることをご存じだろうか。ただし、神のように"人間"を引き上げることはできない。
4.サタン
サタンがハルパゾーするのは、人の心に撒かれた御国のことば、つまり"聖書のことば"である。この箇所は有名な「種を蒔く人の例え」の一部。人がせっかく聖書のことばに触れることがあっても、ことばは心に根を張らず、実を結ぶ前に悪い者サタンに奪い去られてしまう。ここでのハルパゾーは、奪いますという言葉だ。
以上、見てきたように、日本語聖書には「携挙」という言葉はないが、原語で聖書を読めば、その言葉は複数回記されている。さらに、聖書に記された預言は100%実現している。聖書預言とはそういうものだ。預言者と呼ばれる人は、その託された預言が100%実現しなければ「預言者」とは呼ばれない。90%実現したとしても、10%外せば、その時点でその人は「偽預言者」となる。
だから、携挙はいつかの時点で必ず起こる。