大患難時代(前半)
人類史上、最も厳しい裁きはノアの洪水でしょう。
地上に在ったすべてのものが大水に流され、
呑みこまれてしまうという地球規模の大惨事でした。
聖書にはこれと同じ規模の災害が地球を襲うと預言されています。
それが、この大患難時代と呼ばれる7年間※です。
キリスト教界では大患難時代(だいかんなんじだい)、
患難時代、患難期などと呼ばれていますが、
旧約聖書では主に主の日と呼ばれることが一般的です。
主の日と同じ意味合いで、その日と呼ばれることもあります。
正直、ずっと先のことだと
高をくくっていました
しかし、今、身の周りで
起きている事象を鑑みると
わたしたちの世代が体験するかもしれない…
そう考えるようになりました
※7年間とは太陰暦による時間軸なので、
厳密には360日 x 7年 = 2560日に相当する。
※2:参考:・Dr. Arnold Fruchtenbaum; "The Footsteps of the Messiah: - Revised 2020 Edition"
さてその日、どのような患難が人々を襲うことになるのでしょう? この患難は3つのシリーズでやってくると黙示録に描かれています。これらは、I. 封印の裁き、II. ラッパの裁き、III. 鉢(はち)の裁きと呼ばれ、それぞれ7つの裁きを内包しています。これらは時系列で起こります。封印、およびラッパの第7番目の裁きはそれぞれ、次の裁きを含むとされています。7年の前半(3年半=1260日)に、I. 封印の裁き+II. ラッパの裁きがあり、中間期があった後、後半の3年半に移行します。裁きは月日を経るごとに厳しいものになっていきます。下図では上二つが前半、下半分が後半に当たります。
黙示録では、封印の裁き、ラッパの裁き、鉢の裁きと視覚的な描写がされていて、封印を解いたり、ラッパを吹いたり、鉢の中身をぶちまけたり…。これらは皆、天で起こっている出来事で、地上に住んでいる人には無論、こうした視覚的な演出?みたいなものは見えません。ただただ、こうした厄災が連続して起こるのを見るだけです。
封印の裁き
第一の封印 黙示録6章1節~2節
さて、最初に登場する白い馬の騎手は、勝利の上にさらに勝利を得るために出て行った。この人物が、大患難時代の中心人物になります。この人物はメシアではなく、勝利者に与えられる冠<ギリシャ語・ディアデーマ>をかぶった、反キリストと呼ばれる人物です。反キリストに関する詳細情報は、ここには書ききれないので、こちらを参照してください。
2022年の大ヒットアニメ『チェンソーマン』に登場する4人の敵、"マキマ(支配の悪魔)"、"アサ(戦争の悪魔)"、"キガちゃん(飢餓の悪魔)"、"コベニ?(死の悪魔)"など、封印の裁きの最初の4人の騎手がモデルになってるとか。ただし黙示録を解き明かすには何の手助けにもなりません。あしからず (-_-;)
第二の封印 黙示録6章3節~4節
2番目の騎手が現れると、地上から平和が消え去り、戦争が起こります。反キリストがイスラエルと交わした偽りの平和安全条約は事実上消滅し、患難時代がその本性を表し始めます。反キリストが、勝利の上にさらに勝利を得るために出て行ったため、大患難時代は戦争と共に幕を開けます。反キリストはイスラエルと平和条約を締結したばかりなのに、締結後即座に戦争が始まるとは、皮肉なことです。
第三の封印 - 黙示録6章5節~6節
3番目の騎手は飢饉です。戦争に次ぐ戦争のため、世界規模の食糧不足に陥ります。聖書では1デナリを一般的な労働者の1日の賃金としています。現代日本に当てはめると、8000円~1万円くらいでしょうか。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない」という表現は、穀物の価格上昇と共に、世界規模で圧倒的に不足する食糧事情を表しています。そんな中でもオリーブ油とぶどう酒には危害が及びません。2023年、小麦価格の高騰は既に始まっていますが、ますます入手困難になるということでしょう。日本人なら気になるコメの生産も、先行きが危ぶまれています。
第四の封印 - 黙示録6章7節~8節
4番目の騎手は「死」です。この裁きにより、世界の人口の四分の一が死に絶えます。人口減少の手段は四つあります。最初に剣。つまり戦争です。次はききん。餓死によるものでしょう。三つ目は死病。疫病によるもの。最後に地上の獣。食糧不足のために、野生動物が飢餓状態に追い込まれ、人を襲うようになります。この流れも既に、ひたひたと人間社会に迫っていることは肌で感じます。新たな疫病のニュースや野生動物による被害も以前より目にすることが多くなりました。
第五の封印 - 黙示録6章9節~11節
5番目の封印は、患難時代前半期に起こる迫害によって、数多の信者たちが殉教の死を遂げます。大患難時代の前半時点では既に、メシアを信じる者が多数起こされます。この迫害は、彼らに対する迫害です。
ちょっと待って! 教会は既に携挙によって、地上から姿を消したはず、ですよね。だとしたら、殉教の死を遂げる、この"信者"って誰? この問いに対する答えは、黙示録の他の箇所に答えがあります。
この箇所は、かつてエホバの証人が「この十四万四千人とは自分たちのことだ」と触れ回っているため、ある意味、有名な箇所です。ところがここでは、はっきりイスラエルの子らとあるので、ユダヤ人であることは明白。彼らは患難時代前半の三年半、世界宣教に命を賭します。彼らの宣教活動により信仰を持つようになった信者が、上記の迫害の対象となります。
では、迫害する側の人間とは一体誰なのでしょう? それは黙示録17章に登場する宗教的バビロンです。これは、この時代に組織される統一宗教システムを指します。必ずしもイスラム教、ユダヤ教である必要はなく、むしろキリスト教の一部のセクターが中心的役割を果たしている可能性が高いと思われます。携挙に取り残された一部のセクターです。
第六の封印 - 黙示録6章12節~17節
封印の裁きはそれぞれ、地球環境の混乱によって幕を閉じます。6番目の封印は、そういった裁きの一つです。地震(12節)、太陽と月が光を失う暗闇と地上に落ちる星々(12~14節)。この暗闇は地球規模であると想定されます。今後起きる暗闇は、5つあって、これはその2番目に当たります。
カオスが地上を覆います。人はこの状況に至ってようやく、これが神の怒りであることを理解するようです。ただ彼らは、この期に及んで信仰を持つことを拒み、ただただ神の怒りを逃れようと、パニック状態に陥ります。
ラッパの裁き(=第七の封印)
第七の封印は、一連のラッパの裁きを含んでいます。同様に第七のラッパの裁きは、続く一連の鉢の裁きを含みます。つまり患難時代に起きる裁きの数は、7x3ー2=19個ということになります。
3節~5節は、ラッパの裁きに先駆けた天国と地上の様子を描写しています。天使の様子や聖徒たちの祈りと香の煙が神の前に立ち上り、ラッパの裁きそのものが、義を求める聖徒たちの祈りの答えとなります。ラッパの裁きが起こる直前、自然界全体が裁きに慄く様子、つまり地震が描写されます。地上にいる人たちは、天使が封印を解く様子やラッパを吹く様子を見ることはありません。シンプルにここに記された災難が自分たちに襲い掛かってくるのを目にするだけです。
第一のラッパ - 黙示録8章7節
最初のラッパが吹き鳴らされると、地上の三分の一が焼き尽くされます。今は当たり前で何の変哲もない緑の山も、花で覆い尽くされた公園も、この頃には最早過去のものとなっています。今は青々と花や緑に囲まれたハワイでさえ、この頃には姿を消しているかもしれません。
第二のラッパ - 黙示録8章8節~9節
第二のラッパが吹き鳴らされると、海の三分の一が滅ぼされます。海に生きる生物も同様に、三分の一が死に絶えます。火の燃えている大きな山のようなものとは、おそらく隕石か、もしくは火山の噴火を指す言葉と考えられます。結果、地球規模の変動が現実となり、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に絶えます。これはかつて、エジプトにもたらされた災いの10の災いの一つと似ています。災害によって船舶も全体の三分の一が破壊されます。
第三のラッパ - 黙示録8章10節~11節
第三のラッパでは、人類生き残りの頼みの綱である飲料水が被害を受けます。聖書中、星が比喩的に用いられる場合、これは常に天使を意味します。この天使の名前は苦よもぎで、堕落した天使(堕天使・悪霊)の一人。この天使は地上に存在する川の水源に働きかけ、飲み水の三分の一を文字通り、苦い水、つまり飲めない水に変えてしまいます。このため、多くの死者が出るというのです。堕落した天使たちは、地上に裁きをもたらす際、このような形で用いられるようです。水が被害を受けるのですから、これまで不足していた食料にも影響することは、容易に想像できます。
第四のラッパ - 黙示録8章12節
第四のラッパでは、地上の三分の一の光源が失われます。これは必ずしも太陽や月、星々の三分の一が破壊されるという意味ではありません。ただし光源となるものは、何らかの形で減少します。その結果、昼夜を問わず、暗闇が地上を覆うようになります。前のラッパ同様、食物に被害が及ぶことは必須です。
ここまで四つのラッパが吹き鳴らされた後には、三つのラッパの裁きが残っています。この三つの裁きは、地上に残された者にとって特に厳しいものとなります。
この裁きは特に、わざわいと呼ばれ、これまでの災いと区別されるほど。最初の四つの裁きに比べて、後の三つは特に激しくなります。一羽のわしが中天を飛びながらという表現は、空気中に響き渡る警告音であって、この一羽のわしとはセラフィムです。セラフィム(セラフの複数型)とは、一般的な天使よりも位の高い天使で、翼を持つ天使です。セラフィムは地上に向かって警告を鳴らします。三つのうち、最初の二つは悪霊による侵略行為で、三つめは鉢の裁きとなります。
※注:セラフィム:Seraphimは、聖書に登場する上位天使。彼らは六枚の翼と炎のような姿をした存在で、神の天の玉座に二番目に近い位置で神を賛美しています。また、神による聖化の代理人としても働き、預言者になる以前のイザヤの罪を聖めています 。
第五のラッパ:最初の災い - 黙示録9章1節~12節
ここも、一つの星が天から地上に落ちるのを見たという描写から始まっています。ここでも星は天使を表しています。この天使には、底知れぬ穴 (Abyss)を開くかぎが与えられます。このアビス Abyss とは、堕落した天使たち(悪霊)を一時的に封じ込めておく場所のこと。福音書にも悪霊たちが、キリストによって送り込まれることを恐れたというくだりが描かれています(ルカ8:31)。この場所は、悪霊たちが”一時的に”幽閉される場所です。彼らが最終的に送り込まれるのは、火の池 "Lake of Fire" です。
存在するすべての悪霊が Abyss に幽閉されているわけではなく、今ここに幽閉されている悪霊たちは、人類に対する特別な裁きのため、一時的に閉じ込められているだけ。その悪霊たちが解き放たれるのが、この場面です。
堕天使によって、Abyss が開かれると、三回目の地球規模の暗闇が世界を覆い尽くします。暗闇と聞くと、皆既日食のように一時的に太陽の光が閉ざされるような画を思い浮かべますが、実際はまったくの暗闇で、太陽と月の光は完全に閉ざされます。地上の電力供給も閉ざされるため、インターネット、照明器具や電飾も機能しません。
Abyss から解き放たれた悪霊たちは数知れず、最初の侵略行為が幕を開けます(3節)。この悪霊たちが、5番目のラッパの裁きを遂行することになります(4節~5節)。彼らは、地上の植物形態に害を加えず、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるよう言い渡されています。したがって「前述の144,000人、およびメシアを信じた者は対象外」となります。悪霊たちは人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけを命令されています。死にたいくらいの苦しみなのに”死ねない苦しみ”…言葉だけでは十分に伝わらないかもしれません。でも注意深く行間を読むことで、ある程度、想像できるようになっています。たとえば通常、使徒ヨハネによる、裁きの期間に関する言及箇所は少ないのですが、この場合はその期間が記載されています。どうしてでしょう?
その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行く。苦しみを受けることで、人は死を望むようになり、自死を試みます。が、それさえも許されません。人は苦しみの中で死ぬことも出来ず、神、自分の愚かさ、または目に留まるすべてに対する怒りが自らを蝕みます。この頃までに人は、獣の印(反キリストの刻印)を受けた者(不信者)、神の印を受けた者(信者)に二分されていて、この苦しみを受けるのは不信者のみ。しかもこの時点でメシアを信じても、既に時遅し。刻印を受けたことにより、回帰不能点を超えてしまっています(※下記参照)。
さて、7節~10節に登場するいなごやさそりのイメージを持つ生き物について。彼らは文字通り、いなごでもさそりでもありません。彼らは、Abyss に幽閉されていた悪霊です。天使や悪霊が動物のような姿をとることは決して珍しいことではありません。旧約聖書や黙示録の他の箇所にも、同様の存在が登場しています。
第六のラッパ:二つめの災い - 黙示録9章13節~21節
第六のラッパと共に大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いが解き放たれます。この四人の悪霊が、前述の災いに続いて起こる二つ目の災いの主役になります(13節~14節)。最初の災いでは、悪霊は人を殺すことを許されていませんでしたが、二つめの災いでは地上総人口の三分の一が死に絶えます(15節)。二つめの災いに登場する悪霊の数は、二億と記されています(16節)。聖書学者の中にはこの二億という数字から、中国の軍隊であると推察する人もいるようです。しかし、その根拠は聖書には見当たりません。
さらに悪霊の軍勢の様相について言及された箇所(17節~19節)では、彼らは人間ではなく、まったく別の存在であることが分かります。彼らが人類の三分の一を死に絶えさせる手段(火と煙と硫黄)についても、その非人間性と超自然的な力が顕れています。
預言者ヨエルも、主の日に起こるべき、悪霊の軍勢による侵略を描写しています(ヨエル書1章15節~2章10節)。こちらでは、農作物への影響、家畜が飢えて死んでいく様子、生き延びること自体が難しいこと、悪霊による侵略行為などが描写されています。ここではスペースの関係上記述しませんが、時間のある方はググるか、旧約聖書にあたってみてください。悪霊たちの異様な外見や騒がしさ、人々に与える恐怖、素早さ、統制の取れた群れが街を襲う様子も描かれています。これは神による裁きであって、これにより、全人口の三分の一が滅ぼされます。
悲しいことに、こうなっても尚、人類は神に立ち返ろうとしない(20節~21節)と預言されています。信じられないことですが、彼らは自らを5ヶ月の間苦しめた悪霊たちや人類の三分の一の命を奪った悪霊たちを憎むどころか崇拝し、偶像を拝むことも止めません。この時点でやっと前半の3年半。中間地点に当たります。
あー、しんど。。。ということで、前半はここまで。書くのも読むのも結構しんどいですね。(+_+)
さて、途中、悪霊までが登場しました。ちょっと引いてしまう人がいることも理解できます。こーいうのがあるから聖書は信じられないんだよな、と。進化論は信じないとか、アダムは900歳まで生きたとか、7日で地球ができたとか、女は男のあばら骨から造られたとか…。実はそれぞれに科学的な理由付けは可能ですが、それをしたところで、信じない人は信じません。そういう人はたとえ現実に悪霊を見たとしても信じないでしょう。
実際のところ、悪霊が地上に現れたのは、2000年前イエスが生まれた年の前後、それも中近東付近に限定されています。旧約聖書にはほとんど登場しません。もう一か所、悪霊が表舞台にわんさか出てくるのが、この黙示録の時代です。どうしても天使を見てみたい向きには、大患難時代まで待てば、確実に目にすることができます。天使といっても彼らは堕天使なので、悪霊と呼ばれる類ですが…。
後半は後日、書いてみたいと思います。今しばらくお待ちください。
※参考:
・Dr. Arnold Fruchtenbaum; "The Footsteps of the Messiah: - Revised 2020 Edition"
・メッセージステーション ヨハネの黙示録講解メッセージ
文中聖書引用:
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
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