金言247:持込み禁止
ビフォアコロナ時代の海外出張小噺。
1)液体の機内持込み
911のあと、機内に持込みが可能な手荷物は大幅に制限され、酒などの飲料・香水などは液体とみなされ、手荷物で持込むことできなくなりました。航空機テロが話題にならない、おおらかな時代(今から30年以上前)、友人が海外で開催された模型飛行機の大会に出場したことがあります。当時、彼は、特別に調合した燃料(模型エンジン用)をウイスキーのボトルに詰め替えて、手荷物の一部として機内に持ち込み、無事目的地に到着、競技に参加しました。
今思えば、ガソリンよりも燃焼効率の高い手製の爆発物を機内に持ち込んだわけです。爆発物を持ち込むことは、禁止されていましたが、航空機爆破テロは未知の犯罪でしたので、本人にとっては軽犯罪程度の感覚でした。
2)パソコン機内持込み
ふりかえれば、ブッシュパパの「砂の嵐作戦」の時、目覚まし時計は24時間空港に預けるという規制があり、結局飛行機に持込めないという、時間に拘束されるビジネスマンにとっては不都合なことがありました。当時、3KG以上の重いパソコンと携帯型のプリンタを海外出張の際携行していました。まだ、インターネットが存在していない時代です。主な用途は、宿泊先の、現地のホテルの便箋に日本語のメッセージを印刷して、渡航先で合流する取引先に渡すことでした。これは、商談相手に大変受けが良かったです。当時は海外で日本語の出力サービスは存在していなかったからです。そして、一番辛かったのは、帰国時に、ミュンヘン空港で、パソコンを調べられ、動かすよう指示されたときでした。バッテリーは、電源オフでも自然放電し、10時間以上たつとほとんど残量がありませんでした。やっと初期画面が出て、没収を免れ、何か得をしたような気分を味わいました。
3)ラッゲージクレーム
毎月のように欧米主張をしていた頃、複数回、荷物が出てこないことがありました。本人と本人の荷物が同一旅客機に載っていないことが原因です。乗り継ぎ時間が短いと、本人は乗り継ぎができても、スーツケースは間に合わないことがあります。そうすると荷物は、最悪の場合、紛失、運が良くても本人の所に着くのは2~3日後になります。短期滞在で複数国の取引先をまわる時は、荷物が間に合いません。乗り継ぎで1泊する空港で荷物が出てこないときは困ります。翌日は次の場所に移動しますので、本人と荷物がウサギと亀の競争みたいな状態になります。このような場合、航空会社は、必要な衣類、着替えなどを補償してくれました。旅先でスーツやワイシャツ、下着を買って、航空会社に請求するのですが、買い物ができる余裕がある旅行者は救済されますが、きっちりと予定を組んだビジネスマンは、店が開いている平日の昼間に買い物に出かける余裕はありません。
荷物が出てこない事故から身を守るため、商売道具の書類と2泊分の着替えや洗面用具など生活必需品は、機内持込みの手荷物としました。これが、911後のテロ対策で困難になりました。
4)心配
最も気になるのは、財布やパスポートの次に大事な会議資料や電子機器が、機内持込みができないので紛失するおそれが高いことです。チェックインカウンターで預ける荷物の中には、機内持込みできない書類・電子計算機・貴金属など金目のものがたくさん入っています。少し、どんな状態で荷物が扱われているか、裏方の状況を知っている人は、心配になるはずです。昔は、荷捌き場でスーツケースの鍵を壊して中身を盗む犯罪が日常茶飯事でした。珍しいステッカーや再販可能なステーカーなどは剥がされていますので目的地の空港の到着ロビーで中身を100%毎回確実に受け取ることができるように犯罪防止対策が強化されたとは思えません。テロ対策が優先しますが、一般消費者としては、預けた荷物が盗まれるのが心配です。
当時、書類は、インターネットを利用して受け渡す方が安全なような気がしました。必要に応じて、先方で出力して署名し、有効とすることができます。