バブルの頃#169:川瀬さん

川瀬さんは、ソフトウェア開発会社に入社して最初に仕事を一緒にした方です。創業15年の会社で、社歴が13年の即戦力の社員でした。

この方は、公私ともに節目を迎えたときに、情報処理に関する米国の資格取得を目指して会社を1年近く休職されました。会社が初めて、新規顧客開拓のために高額な費用をかけてセミナーを開催した直後のことです。川瀬さんは事務局の中心となって活躍され、会社あげてのイベントは大成功でした。ところが、参加者へのフォローという刈り取りフェーズで、彼は休職を宣言しました。失望した上司は経営者に解雇を提案しましたが、会社は休職を認めました。

そして、1年後。
川瀬さんは解決を望んだ2つの課題をクリアして、意外にも会社に戻ってきました。前職の職場長は受け入れを拒み、他の職場長も難色を示しましたので、当座人事部預かりとなりました。その後3ヶ月ほど、赤字プロジェクトの火消しの費用を計算されていましたが、このプロジェクトの火消しが終わると仕事がなくなりました。

不稼動
ソフト会社で初めて目にした光景です。仕事のアサインがないSE(情報処理技術者)は所属する職場にもどり帰社席(通常はお客さまが提供する場所で業務をすることが多いので会社には出社しないSEのための共有デスク)で待機することになります。この状態を不稼動といい、職場長は仕事探しに必死となります。待機する社員は、仕事がないので定時に出社し定時に帰宅します。1日中、技術関連の雑誌を読んだり、インターネットで検索したりして自習しています。外部との接触はなさそうで、電話もなく話し掛ける人もなく、黙って、読書しPCの画面を8時間見つめています。

川瀬さんは、人事部で不稼動となりました。人事/総務/庶務関連で同僚が忙しく動きまわっている職場で、独りじっと座って読書をし、PCの画面にむかっています。人事部の雑用とか手の足りないスポットの業務すら、SEの川瀬さんには一切まわってこないのです。昼食を一緒にすると好ましくない人事評価をされそうな雰囲気がありました。彼は弁当持参で自分の席で昼食をとっていました。株取引で例えると、管理ポストから整理ポストに移行したようなものです。

スポーツ新聞では、親会社がリストラしたい社員をまとめて電話のない別室のとじこめ、本人が辞表を出すまで仕事を一切させないという記事が話題になっていました。

川瀬さんは数ヶ月不稼働を経験して退職しました。その後、上流のコンサルとして自営です。人手不足ですから仕事はあるはずです。

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