バブルの頃#187:シーズン4 了
親会社の創業者が、ITバブル真最中に、子会社を次々と上場させていく中で、拒否権を持つ合弁企業に反対された子会社は、上場が3年遅れました。そのため、大半の社員は、上場によって期待していた「幸せ」にはなれませんでした。幸せはだれかがくれるものではなく、自分が実現していくものなので、これでいいのかもしれません。上場に向けて、経営基盤の確立強化、営業力強化、利益確保、持ち株会、インサイダー取引の注意、ストックオプション、商号変更など、多くのことを経営者のそばで体験することができました。
この情報処理会社に在籍中、自社株売買はインサイダー取引に抵触するのでできませんでした。インサイダー情報による株取引は実刑だと警告(啓蒙)を受け、コンプライアンスも学ぶことができました。思えば、ドイツ企業に就職し、本社が法人化し、上場するという80年代のヨーロッパで仕事をしているとき、オプションという言葉が幹部社員の採用、退職の告知にかならず記載されていました。当時、オプションという意味を理解していませんでした。株、不動産、先物など投機的な事柄にはまったく興味がありませんでした。バブル当時の本業は、モノをつくり、売るということで、その業務で十分過ぎる年俸と使いきれないほどの会議費・接待費の枠がありました。そして、バブル期に不動産、株に投資をしなかったために、その後のバブル崩壊で資産を失うことはありませんでした。これは、自慢でもありました。
その後、異業種のIT会社に転職したおかげで、米国にこれ以上負けてはいけないマネーゲームに参加するための基礎知識をOJTで習得することができたと思っています。この会社の経営者に出会うことができたおかげだと、今は感謝したい心境です。
絶対付き合ってはいけない輩の存在を、時々思い出します。SEの若者たちになめられたり、世間の常識が通じなかったり、陥れられたりと、眠れない日が続いたこともありました。このたび、さんざん迷惑を被ったこの人たちを、「種島、黒重、このぐらいでかんべんしてやる」と寛大にも許してやることにしました。なぜなら、この会社は、高度情報処理技術者集団として成り立ち、技術者が経営していたのですが、創業者の死去により流れが変わってしまい、いまでは、株屋さんが経営権を握っています。そして大手証券会社出身者が代表取締役に就任しました。金融システム開発に強みをもつソフト開発会社は、証券取引業を本業とする親会社の情報システム部門という位置づけになるものと予想されます。
思えば、ITバブル期にソフトウェア会社がIPOのために雇った傭兵のひとりだったようです。めでたく上場達成したあとは、古参の技術系役員がIR担当役員として生き残り、傭兵たちは株式公開で時価がふくらんだ持株を売却して次の戦場に出かけていきます。
次回から再度外資企業に転進した話題を中心に、シーズン5を展開してまいります。
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