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金言-902:当時の皆さんにほんの少し感謝の意を表したい

2月は記念日がたくさんあります。移籍、転職、起業、誕生日など。
最初にお世話になった会社が業界でリーディングカンパニーであると経営者が豪語している時機に、本社勤務で毎日8時から21時まで社業に励んでいました。ある年、本社男性社員が全員1週間ほど社内研修で会議室に缶詰になりました。連日、創業者の面影を追い、生き証人の先輩たちを招き講話を聴きました。ふと今この会議室に集められた同僚たちは何を考えているだろうと、窓の外を眺めました。その時間が長かったかもしれません、席に戻ると上司によそ見をして話を聞いていなかったと厳しく叱れられました。

これがきっかけで勤め人稼業の先行きに不透明感を覚えました。当時は右肩上がりの経済環境で、転職先が決まる前に退職しても不安はありませんでした。それに在職中に転職活動をすると懲戒解雇で退職金はないと牽制がありました。意外にも退職が認められるまでに半年かかりました。退職前に海外ロケのアルバイトを入れていたのですが、どこから漏れたか自分から漏らしたか、退職前の有給消化期間中に海外旅行を禁じられました。何はともあれ、朝礼で退職辞令をもらった時は大変嬉しかったことをよく覚えています。勤続15年でした。

結局、辞めたいと職場の先輩に漏らしてから次の職場に移るまで1年かかりました。あの1年は充電期間というよりは、待機のようでした。漠然と狙っていたポストが転がりこむのを待っていました。今思えば危ういことをやっていました。何の確約もなく、次の仕事のための準備をしていました。ようやくオファーが届いたのが、2月でした。新宿のホテルの中華飯店で日本人スタッフと顔合わせをし、ルフトハンザのCクラスの片道チケットをもらってミュンヘンに独りで行きました。初めてのヨーロッパでした。バイエリッシャーホフのラウンジで直属上司となるドイツ人と面接。その後同僚となる何人かのスタッフとお茶、夜は経営陣が出席するパーティに参加。その後1ヶ月独仏の事業所で単身研修となりました。だいたい1カ月も拘束されるとは聞いていなかったので帰国するときは季節が変わっていました。記憶に残る1回目の転職でした。何回目かの転職で部長職以上のオファーがなくなったので起業して勤め人を卒業しました。

振り返れば、団塊の世代でいまだにCEOとして商いを続けることができるのは、あの年の2月のおかげです。謙虚に、当時の皆さんにほんの少し感謝の意を表したいと思います。感謝の気持ちの見える化はいたしません♪

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平史理 taira fumitoshi
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