金言217:誤発注

何年に1回は証券会社が誤発注により巨額の損失を出したというニュースが流れます。いずれもコンピュータシステムが警告を出しているにもかかわらず、警告画面に従業員が出したファイナルアンサーが「残念!」というウラがありそうです。

事後の会見では、お約束どおり、二度と過ちをくりかえさないようチェック体制を見直し従業員の再教育をし、発注システムの改善をすると責任者が発表します。記者会見の中継をTVで見ていると、質問している記者はあたかも利害関係者(個人投資家を含みます)の代理人のような立場で、事故をおこした証券会社の幹部にものを言っているように見えます。

ひな壇に並んで深く頭を下げる年長者は、なんでこんな小僧や小娘の無礼な態度に我慢しなければならないのかと情けなく思っているのではないかと気になります。カメラやマイクから出力される映像と音声が瞬時に全世界にばら撒かれるというマスコミの圧力の前では、お詫び会見をする立場の人は、じっと我慢です。
都合の悪い部分を切り出して曲解されるような映像を流されたらかないません、取引先や顧客の信用を一度に失います。

損失に苦しむ側の人を、そのイベントを報道することによって生計をたてている人たちが視聴者のうけをねらってインタビューするような場面は納得いきません。しかしながら、たとえばミノさんが本番で極度の緊張状態(怒りで気持ちが高ぶって)に追い詰めると、相手はたまりかねて本音をもらしてしまうようなケースもあります。

誤発注にもどりますが、PCのボタンを押すことによって起きるトラブルは日常茶飯事だと思います。身近な例では、作成したデータを誤って消してしまうことがよくあります。データが削除されますがかまいませんかと画面に警告が表示されているのに、ためらいなく「はい」のボタンを押してしまいます。押した瞬間、後悔しますが何故押したのかと振り返ると、魔がさしたという表現がぴったりのような気がします。

この「魔がさす」瞬間が地震と同じように忘れた頃にやってきます。この瞬間というのは、いつも余裕のないときです。PCの調子が悪いとき、複数のソフトを同時に立ち上げて動かしているとき、重いファイルをさわっているとき、いつもとちがう手順で作業をしているとき、期限に間に合わせるために急いでいるとき、こういうときは、作業画面を見てはいるのですが、実は別の作業のことを考えているので、次の画面に切り替えようと急ぎます。そこに落とし穴が待っています。PCは時々変な動きをするので、ファイナルアンサーと問い詰められたら、結局PCが出す表示より自分の判断の方を選んでしまいます。異常時咄嗟の判断はPCにまかせません。

このような属人的なミスは、システムを改善してもなくならないと思います。処理件数が同じならシステムを見直し従業員を再教育することでミスは激減するはずです。しかし処理件数が増えれば、トラブル発生の絶対数は減らないと思います。不注意によるトラブル発生というのは、必ずありますから。
「起きてしまったことは仕方ない、善後策を考えよう」とヒトは考えます。

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