バブルの頃#133:1994年1月
外資から撤退して1年たった。
バブルの恩恵を受けて、あらゆる電気製品や事務用品の新製品を買い、それがまだ残っている。液晶パネル付のビデオカメラ、オールカーボンフレームでイタリアからサンプル輸入した自転車、ダイナブック1300GT、マックSE30など。
ビデオカメラは箱から出してもいない。自転車は道路を走らせたことがない。PCはエクセルの表すら作っていない。ファクス、電子タイプライター、レーザープリンタなどいつでも事務所が開ける機材が未使用に近い状態で陳列。SOHOのモデルルームもどき。まだバブルの清算に時間を使っている。外資では、だまされ、おどかされたりしながらその場しのぎで生き延びた。それに比べれば、今はブルーオーシャンでストレスフリー。脳が腐っていくほど刺激が無い毎日を休養として費やしている。
1月5日(水)
次男がきたようだ。帰宅したら、ドアに菓子折りとメモがぶら下がっていた。
1月8日(土)
弟が結婚するというので高輪の中国料理店で夕食を一緒にした。この店は何かの節目とか、大切な人に会うときとか何かを決めるときに使う店として決めている。社会に出て最初の3年間、ウェイターをやった店だ。3年目に現場から引き上げてくれた上司がいた。その後、本社に移籍するときに、この店で面接を受けた。そして12年後に外資に転職するきっかけとなった会食もこの店だった。
1月14日(金)
東京都食品衛生責任者の講習会に出席、10時間の講習だった。10問中7問正解。ただし、テスト結果ではなく講習会に出席すれば合格で、資格取得。
1月31日(月)
浅草の川沿いにある、かに料理の店に主要なアルバイトを集めて会食。1月の売上状況を発表し、前年より増収の話をしたが、売上とか利益とかに関心の無い人たちであることに気がついた。
時給いくらで労働力の切り売りをしている人たちだった。