バブルの頃#129:1993年9月
毎日英文でのレポートやディストリクトとの取引や社内の覇権争いに翻弄され、あわただしく1週間が過ぎていくという外資企業での常時臨戦態勢の暮らしは消滅。ついでに日々の緊張感も薄れた。ビジネスマンを引退してしまったか。そうは思いたくない。今は自分なりのバブルを清算し、新たな生活を始めようとしているだけだ。その過程で将来と目前の生活が歪められてしまった複数の家族がいる。この時期、同じ経験をしている同時代の人たちがたくさんいるはずだ。
船は出てしまった。もう一度引き返して船を桟橋につけることは不可能ではないが、時間とカネの浪費だ。香港から台北に向かう搭乗機が、途中で離陸をあきらめ引き返したことがあった。あの時わかったのだが、離陸をやり直すということは、離陸の順番待ちの列の最後に並ぶことだった。次の番まで時間がかかった。その間にオーバーヒートしてまた列の最後に並んだ。台北での会議に間に合わなくなり、行き先を成田に変更し、乗り換えた。乗客は飛行機を乗り換えるが、スーツケースは機内に残りそのまま台湾に行ってしまった。
9月4日
◆バーバーのマスター
大学卒業後最初の職場には、福利厚生の施設として従業員用のバーバーがあった。職場が変わったり、異動、転籍、転職を経験したりしたが、どこの会社に移っても、このバーバーには通い続けた。最初は社員割引で安かったので通った。その後、チェーン店が価格破壊をして近所には安くて早いバーバーがいろいろできた。バーバーは変えなかった。1972年から通い続けている。季節の変わり目にはマスターの奥様に花をおくり、お中元とお歳暮は続けた。海外に出張すると、土産を持っていった。今でも、このバーバーには1990年5月1日にパリのチュイルリー公園近くの路傍で買った200フランの油絵が飾られている。
20年も同じバーバーに通っている。そのマスターに言われた。「お宅は一番いい時代を生きてきた。戦争もなく、高度経済成長の恩恵を受けてきた。今の若い人たちはバブルも知らない。またバブル時代にいながらバブルを味わっていない同年代の人たちもいる。」
9月5日
売店で3つの企画を実行した。モルツとは別に、「江戸前ビール」を仕入れ、「サンドイッチ」と「オリジナル絵葉書」をメニューに加えて販売を開始した。観光地での商売は、天候と曜日が集客と売上の基本となる。金曜の夜にテレビで「週末は天気が悪い」と予報がでれば、たとえ当日の朝に太陽が顔をだしていても、観光客の出足は鈍る。前日の天気予報に影響されて、休日の外出を控えてしまうファミリーがいる。日銭の商売である。売上がよければ、天気に恵まれたからだと報告し、荒天で売上が少ないときは努力と工夫が足りないといわれる。
1993年9月7日
売店のアルバイトが、お客さまとトラブルをおこした。
浅草を拠点とした観光地の商売は、休日は地方からの団体客も多い。
自給千円で雇っているアルバイトが、お客さまのクレームに反論した。確かにビールを片手に気持ちよく観光をしているお客さまにとって、売店の若い売り子の反論は、内容はともかくとして、おもしろくない、せっかくの行楽日和に楽しい気分が壊される。「自分のほうが先だ、早くしてくれ」というのは、売店でお客さまが立て込んだときは、日常茶飯事のこと。そこを、笑顔でしのぐのが、若いアルバイトにも要求される。
フリーターはいくらかわいがっても、ペットにはならない。だから褒美をやってもなつかない。そもそも、責任とか勤勉とかが馴染まない人たちが選んだ道である。そういう人たちとは、それなりの付き合いをしなければいけない。基本的な接客マナーを学習しない人たちには、問題がおきたら、レッドカードで退場していただく。
クレームをつけたお客さまが、再度電話をしてきた。ご迷惑をかけた係りのものは即日解雇したと伝えた。このお客さまのセカンドコールはないかもしれない。しかし、年間数百万人が店の前を通り過ぎる。問題がある売り子はリリースして、笑顔が得意な売り子と入れ替えればいい。
9月21日
正社員が10人で、アルバイトが30人近くいる。アルバイトは夏が終わると辞めていく。秋の行楽シーズンに備えて、新規に10人補充する必要がある。20人面接して5人採用の返事をしたが、来るかどうかは当日にならないとわからない。仲間同士で連れ立って面接に来た場合は、採用しない。一緒に辞めるリスクが高いから。
9月28日
売店部門を任されてから、業務の効率化に手をつけはじめたため売上があがってきた。この部門は大学生のアルバイトが、高卒社員の甘い管理のおかげで、勝手なことをする余地がかなりあるようだ。観光地ということで、100円で仕入れた缶ビールを缶のまま350円で販売する業界である。コーヒーにいたっては、原価が販売価格の3%程度であり、まさに水商売である。アルバイトの時給は1000円で交通費を別途支給する。1日の売上が一人5万円を越えれば、5万円ごとに500円の大入りを出す。社員にはボーナスなどが年4回、さらに1日あたり設定された売上を超えれば、全員にその都度1000円の大入袋が支給される。
このような水商売で、粗い仕事は人間がだめになると思っていたが、今またその世界に足を突っ込んでしまったような気がする。若い頃、ホテルでヘルプと呼ばれた派遣サービス員から接客技術を学び、またサービス業の裏面も一緒に経験してきたので、大学生のアルバイトの行動パターンが見えてしまう。ところが、古参の高学歴アルバイトたちは、どうせ社長の知り合いで会社に入ってきたのだから現場は知らないだろうと思っているらしい。
アルバイトが売上をごまかしたり、商品に手をつけたりするのを、少し牽制するだけで一人当たりの売上計上が5千円増える。所詮水商売なのだから、逃げ道は残しておかないと、成り立たないが、最初は牽制するだけで利益に貢献する。次は、仕入れと在庫管理、顧客満足度などだが、まず現場で垂れ流している必要経費に、社員が原価意識を感じるだけで効果が期待できる。
9月30日
古参のアルバイトを1名、勤怠が悪いという理由で解雇した。新しい人間を入れて、前からいる人間をやめさせるのは納得がいかないという。空手をやっているということで、拳で机をたたいて出ていった。
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