クリスマスとお正月と論文
最近やっと気づいたことだけど、noteを書きたくなるときは、いつも論文を書いているときだ。書いているというか、論文の作業をしながら〆切に追われているとき。書きたくて書きたくて前に進みたいのに、思うように前に進めない。文字通りもがいて、その場でばしゃばしゃと浮かびながら腕を動かしているみたいだ、プールの中で。
前に進めなくて、書きたいことも結論もなんとなくあるのに、書けずに焦る。けれどももがくことしか、前に進む方法はない。誰かが引っ張ってくれたり、ビート版に頼ることはできない。
物理的にビート版がプールに投げ込まれるわけではないが、私の頭の中のビート版は、(「私の頭の中の消しゴム」みたいな言い回しだ。内容はあまり覚えていないが、素敵な、しかし悲しい感動ラブストーリー、だっただろうか、しかし私の事態はそんなメロドラマちっくではない。)好きな人の言葉である。「またいつでも連絡待ってるから」「論文応援してる、大丈夫だから」みたいな言葉をかけてくれたことを思い出し(実際の言葉はもっとこう、その人らしくて上記の感じとは違うけど、ここではちょっと簡略化した。)、そう書かれたラインをスクショしたやつを時々みては、自ら、自発的に、癒されようと(努力)している。(ちょっとむなしい。)
好きな人のことを思い出すのはいつも夜とか疲れたとき。そして論文を書いているのもいつもだいたい真夜中だから、書けない焦りと、好きな人に会いたい焦りと強いきもちで脳内が大変なことになる。とりあえず論文を書いていくことしか今できることはない。
言葉をうまくまとめようと、何か「最近、紅葉を見た」とか「空がきれいだった」と言いたかったが、はて、紅葉を見た覚えも、綺麗な空を見た覚えもないほど、論文に追われている。
けれども、今日夜にコンビニに行くためにドアをあけたら、完全に冬のにおいだった。どこかで雪がふったことを思わせる、そういう冷たくて透き通ったにおいが、ビルが立ち並ぶ場所であっても空気としてそこに漂っていた。
スーパーで、クリスマスケーキとお正月のおせちの予約のポスターがとなりどうしで並ぶ、この奇妙な光景、-おそらく日本でしか見られないやつ-を横目に、ああ、締め切りが来てしまう、と、師走の喧騒とあわただしさはすべて、締め切りへの焦燥感へと変化していくという点で、今年は私が生きてきた今までの年越しと、何もかもが違う。
しかし同時に、敬愛する好きな人と、大好きな友達と、いつも支えてくれている家族と、年越しくらいはゆっくりしたい、などとも、例年と同じく、思うのである。
今夜は勝負の冬の夜です。(論文の途中〆切があるという意味で。)