15. 言語と文字

具体例を出してしまうとややこしくなるので、あくまでざっと「こんな感じ」とまとめておきたい。

言語は、ヒトが、自らの現実世界の認識を特定の音に置き換え、その「意味を持つ音」を非常に長い年月をかけて蓄積していった先にあるものだと考えている。

①現実にあるもの →<認識>→ 特定の音
②特定の音=<頭の中で繋がる>=現実にあるもの
③特定の音 →<認識>→ その音が指し示す現実にあるもの

これが基本構造で、名詞的なものだけではなく、ある行動に特定の音を紐づけて認識し、ある音が特定の行動を意味するようになったり、ある特定の内的な感覚・感情に特定の音を与えて、その音がある特定の体感を指し示すものになったり、というのも同様の構造と思う。

そのうちに、ヒトの脳は「意味を持つ音=言葉」だけで、ある程度の「擬似世界」を頭の中に構築できるようになり、その先に「現実には存在しなものを想い描く」能力が出てくると考えている。

この、現実にあるものの代替え品として存在していたはずの「音=言葉」が蓄積され複雑化し、ヒトの頭の中の擬似現実を操る独立した地位を得るようになる。その辺りが「言語」の出発点。

ここで、特定の文化において、その「代替え品」の地位向上に大いに貢献したものが「文字」で、「ヒトの認識」を頭の中から独立させて現実の中に再現したものーー「ヒトの認識」を現実の中で物質化させえたもの、と思っている。


そして、文字で表されたことにより、言葉は「独立して=それが現実で指し示していたものから離れて」存在することもできるようになる。人の頭の中だけに存在するのなら、「意味を持つ音」は人の「記憶」以上に増えることも、「今そこにあるもの+α」以上のものになることもおそらくないが、「文字」としてヒトの頭の外に実際に存在し始めると、飛躍的に、膨大に蓄積させていくことが可能になる。人の記憶と共に消え去りにくくなり、時代を超えて存続することができるようになり、ヒトの体験は知識として増え続ける。最初の「ビックデータ」は、文字なのだと思っている。

現実にあるもの→ヒトの認識→音への置き換え(話し言葉)→脳内での「意味を伴う音」蓄積→音の文字への置き換え(書き言葉)→ヒトの認識の具現

という感じ。

そしてこうなると、「文字」で表された言葉はそれ自体が独立し、頭の中にある「概念的な意味」だけと繋がって、現実にある存在そのものからはいくらでも解離していくことができるようになる。文字化された人の認識ー文字に閉じ込められた概念は、非常に無機的に、知識として現実の中に存在しうるようになる。

ただし、現実との結びつきを失った無機的な概念も、通常「必要」が無くなれば、ヒトの記憶同様に時とともに忘れ去られて消えていく。時が経っても現実との結びつきを失わなかったものだけが残る。


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