写真が、たのしい。
カメラを買って、何が楽しいかって、写真が楽しいです。
カメラは写真を写す道具であるけれど、撮りたい!を楽しくしてくれる道具でもあります。
川島小鳥さんが、「飽きないように、いろんなカメラで気分を変えたりもしています。メルカリで買ったカメラとかも使いますよ」と以前トークショーでおっしゃっていて、その時はわかったようなわからないような気持ちになったのですが、数年経った今、あ、もしかしてこの感じ?これのこと?くらいにはわかった気がします。
どんなカメラだって良く撮れる、けれど、わくわくさせてくれる装置としてのカメラは一人一人違って、万人にとって究極の、とか、完璧な、というのは幻想だなと思います。
初めてカメラを持つ人に、私が使っているカメラをお勧めするか、といわれたら困ってしまうのも、そういう側面に気づいていたからかもしれません。
チェキがたのしいひともいれば、コンデジが好きな人もいるし、メーカーだって色々。
自分が納得するには、触って、撮ってを繰り返していくしかないのです。
できれば家電量販店のLEDライトばちばちな感じの店内だけでなく、自然の、家で撮った時の感覚などがわかるといいから、友人に借りれたら借りて欲しいなと思ったり。(壊しそうでハードル高いけれど)
Nikonはショールームで貸し出しもしていたような、、。
あとは買ってしまったら、毎日こつこつ撮ってゆくこと。写真が楽しくなる前に、機材のことを最低限知って操作できるようになっておくこと。自転車などと似ているところでもあります。基本操作覚えないと気持ちよく乗れないでしょう。
そんなことを繰り返して1ヶ月、今写真がとっても楽しいです。
現像という大きな壁はのこりつつ、やっぱり50mmで撮られた、写った世界が大好きです。
「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」を改めて読み返していて、じんわり今の自分に沁みてくる言葉を確かめています。
被写体に敬意を払うこと
写真のために社会があるわけではないこと
子どもを撮る時、声をかけたくなって「せっかく今撮ってるのに〜!」という言葉、よく聞きますし私も言ったりしていました。
でも、彼らはほぼ98%そんなこと頼んでもいないし、自由にさせてよ、って思っているはず。
遊びは彼らの真ん中にあって、命を燃やして遊んでいるのです。
それを、ちょっと待って、なんてされたら、むっとするのも当然です。
撮らせていただいているのだ、という意識を持つようになったら、心なしか好きな写真が増えました。
そしてカメラを持っていると、子どもがいくらもっと遊びたい!となっても比較的穏やかでいられるのもいい効果だと実感しています。
早く帰ろう、を言わなくて済む。撮っていると子どもたちがいかに楽しそうかわかるから。
スマホを見ているだけでは気付けない、超地味で、なんの変哲もない日常の中にある、刹那の美しい瞬間を発見することができる。
写真って、楽しい。
あとから家事はしなければならないのですが、手を抜いたってなんとかなるのです。夕飯が一品減ったって、大人は勝手になにか食べられるものを探すし、そもそも子供はそんなに食べないし。自分が幸せな気持ちでいられるほうが、子供たちにも伝わるのか、穏やかな夜になることが多いです。
特技 ;日常の中に、一日の中に、ささやかな美しいものを見つけられます。
写真を楽しんでいるときに、よく思う言葉です。これ、何にもならないけれど、きっとこれがあれば幸せに生きられる大事なスキル。
雷雨を「綺麗だ!」と自分のカメラで一生懸命撮った子ども達。そのまま大人になっても、小さなことを喜んだり、面白がれる人であってほしいと願いつつ、私もそうでありたいと写真を撮りながら今日も願っています。
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