雷鳴と兎面。
出先で雷鳴と稲光
表を走っている車の音が湿り気を帯びて
道路がだいぶ濡れていることを知る
昼の停電。
帰宅して夜、2階の窓を開け放したままだったと階段を上がってから気づいた。
どうともなっていなかった、と思ったが、
張子の面が、ころりと倒れていた。
ん?と思ってよく見ると、
机の上のメモ書きが綺麗に滲んでいた。読めないほどに溶けたインクと、ふやけてから再び固まった紙たち。
本を持ち上げると裏はしっとりと濡れて、模様を作っていた。
木の椅子には飛沫の後、どうやらだいぶ激しく降り込んだらしい。
はて、と思った。
ころりと倒れた張子の面は、胡粉で塗られているのに、染みもなにもなかった。溶けた様子もない。
この面は、最後の面なのだ。
民藝に興味を持ち始めた頃に出会った、白い兎の面があった。調べてみるとわかったのは、島根の柳屋の田中さんという作り手が作られていて、それはもう休業されているようだ、ということの二つだった。
中古で売っているところもあったが、どれも値が高かったし、転売はあまり好かないので、直接手紙を書いた。
民藝に興味があること、もし再開した暁には面を譲ってほしいこと。などなど。
しばらくして返事が届いた。筆で書かれた達筆な字は面に乗った筆の運びの潔さを思わせた。
もう材料も尽きて作ることはないことなど仔細に渡り丁寧に書かれ、もう譲ることはできないということだった。
それに対しての礼状を書いて、数ヶ月が経った頃だった。また一通の手紙が届いた。
「倉庫を片付けていたらひとつ見つかりました。それでもよければお譲りいたします」とのことだった。すぐに返事を書いて、白い兎の面が手元にやってきた。
同封されていた手紙には、「どうか気永に民藝と付き合ってください」とあった。
倒れた面を手に取って、そのことが急に思い起こされた。
物を持つ、とりわけ好きな物を持つ、ということは、執着を手にして背負っていくということだ。
それが、いいか悪いかというより、好きか嫌いか、したいかしたくないかの差なのだろう。
周りの民藝の人たちのように、私は際限なくは持てない。その度量がないからだ。その余力がないからだ。
それでも今手に持っているものは、大事に抱えていきたいし、そうすることで多くを得るとはまた違った何かが見えてくるんじゃないか、と思って「直す、繕う。」の特集を編んだのだ。
もう私ができることは何もないんじゃないかと思ったけれど、まだ何かあるのかもしれないなと気永に観るか、と思った夜でした。
書けないな、と思っても結局書いてるね。どれもこれも長いからさすがにもう全部は読んでいないだろうけれど、おやすみなさい。
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