夏越の祓え、大国魂神社に行ってみた。
おはようございます。涼しい風が吹いて、あともう2時間くらい眠りたい気分です。
夏至もすぎて、気づかないほどひっそりと日が短くなっていきます。
冬至のことは全く想像できませんが、きっとすぐにやってくるのでしょう。
この時期神社に行くと、大きなしめ縄がまあるく巻いて立てられています。
この習慣とても面白いなと思うのですが、世界各地で草を編んだ円をくぐったり頭に草冠を乗せる儀式というのが存在するそう。
エネルギーが増える、から、減るに変わる区切りのためだとか、いろんな説があるようですが、明らかに一年の半分の区切りとして古来から意識されてきた夏至、これから暑さも厳しくなるし、穢れも溜まってきたから一度神様にお参りして祓っておきましょう。と考えると、納得のいくものでもあります。
私が夏越の祓えに興味を持ったのは、素戔嗚尊の茅の輪について知ったから。学生時代だったでしょうか、母に「茅の輪」って知ってる?と聞かれたことがきっかけです。
茅の輪とは文字通り植物の茅で編まれた輪のことで、ここでいう茅はチガヤやイネを指しているようです。しめ縄飾りも稲藁を使います。
よく思うのですが、なんで神様はふらりと現れて、人間を試すんだ、と思いますが、往々にして神とはそういうものなのでしょう。
この話には続きがあり、茅の輪をもたなかった(神を泊めなかった)弟をはじめとした村人は、一夜にしてすべて疫病で死に絶え、茅の輪をもった兄の家族と縁者は生き残った。ということです。武塔の神は素戔嗚尊とも言われていて、「徹底的な感じ、さすがです、、、」と言いたくなりました。茅の輪は立派な呪具です。
去年、出雲須佐神社でいただいてきたお守りも、茅の輪の印が押してあり、玄関に置いています。また行きたいな。
植物を綯ったものを、呪具として扱うのは一番身近なところだと、年神様をお迎えする、しめ飾りでしょうか。しめ飾りを作るワークショップを行ったことがあるのですが、普通の使うための縄は右綯いに対し、神事には左綯いと決まっていることに驚きました。ハレとケの発想ですね、かなり緻密に考え守られきたのだと意識させられました。
というわけで、今日行けるなとサクッと近くの大國魂神社に行ってきました。
いつも清められ、木が大きく、爽やかな風が吹き抜けてゆくところ。
神域、という言葉が浮かんできます。
手水で手口を清めて、茅の輪くぐりをしました。くぐるといっても順番があり、それを守ります(なんたって呪具だから)
手順通りに歩きますが、上から見ると無限のマークのようになるのが不思議。
お詣りを済ませ、厄除けのお守りを買って御神籤を引きました。
中吉でした。ふむふむ。
古く切れてしまったお守りもお納めしてほっと一息。
人形流しを行いました。紙幣が綺麗です。
人形は無事水に溶けて消えていきました。
本殿の周りをぐるりと回ると、リーンと空気の張る場所があります。大きな銀杏と椋木。
美しくてじーっと見ていたら蚊がたくさん寄ってきて退散。
来た時と同じく、門のところでぺこりと頭を下げて帰ります。
さて、帰ろうかと思ったら大粒の雨。ちょうどいい時間に参拝できたなとありがたく思いました。
祓えの効果?はこの「神様の前で自らを棚卸して一息つく」というところにあるのかもしれないと思います。もちろん儀式としての効用の一つではあるのですが、自分が今心の中で何を求めているか、何に感謝しているか、について神様の前ではとても素直に言えるのです。清らかな部分も穢れた部分も取り繕っても全部お見通しというか。
神社の奥には、鏡が置いてあると言います。カガミから我を取ると神、カガミから、神を取れば我。どちらも内包しているということです。
私の願いは、いったい何だろう。改めて今一度考えています。
本来であれば六月の三十日に行われる夏越の祓えですが、七月の下旬ごろまで置いている神社も多いのではないでしょうか。
行くと少しすっきりするかもしれません。
神社に行くには午前中の澄んでいる時間がおすすめです。自分の土地のお気に入りの神社をぜひ尋ねてみてくださいね。
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