十月二十四日のこと。・日本民家園に行ってきた。
今日も快晴。このところ空気が乾燥して、夜眠るとき二階に上がるとぱりぱりとする。加湿器に水を入れて、手にクリームを刷り込んだり、娘のほっぺたや膝の後ろも手でやさしく包むように保湿剤を塗ってから布団に入る。私の手はすぐにカサカサするのに、彼女のやわらかな頬は水分を保っている。同じことも母は思っていたんだなと、ユースキンのオレンジ色の蓋と大きな月みたいな色の容器を思い出した。
今日も家族が出張なので、息子を送り、娘を送る。自転車で送ろうとしたら車にぎりぎり当たってしまって車庫から出せない。諦めて車で送った。かえりに駐車場をお借りしているお店で、欲しかったボアのフリースを買う。なかなか軽く、暖かい。たくさん草の種はつきそうだけれどいいか。淡いグレーが猫みたいな色だなと思う。
娘を送ってから家に戻り、車で民家園へ行く。何度行っても美しいものがあるという場所は好きだ。美術館の展示に行くのもいいし、湖や山、海もいい。けれどここは少し特別で、かつて人々が本当に暮らしていた江戸時代頃の建物を移築復元している。その土地そのものを反映していると思う。どれほどの厳しい環境だったのだろうと思わずにいられないけれど、それがこの迫力を産んでいるのだろうか。とにかく美しい。今のように輸入なんて、いや、あの山を越えるだけでも大変だったのだろう。その地に生えていた植物、大地の土、岩、それらを組み合わせて作られたものは、装飾的というより合理的だ。暮らしている人に合わせて作られた、というより、土地があって、そこに生きるために生まれたような家は、どれも自然という脅威から人々を守るような壁であり、自然と上手く付き合うための扉や窓であった。
今日は菅原家に行った。山形の鶴岡という豪雪地帯にあった家である。まず、鎧兜のようにどっしりとした板壁や、分厚い茅葺に目がいく。壁は黒い。中に入ると一瞬目がおかしくなったのかと思うほど暗い。目が慣れてくると、窓からの小さな光まで眩しい。今日知ったのは、冬の雪の重みで家が軋んでも扉が開けられるように引き戸、雨戸の敷居についた滑車だった。素晴らしくよくできている。コロのような役割だ。今は網戸に滑車がついているけれど、それを何個も敷居側につけている。当然全て気でできている。工夫なのに意匠としても美しい。
引き戸を締め切ると小さな窓のようなものが、右の下の方にあいていた。聞くと、猫のための出入り口らしい。頭が入れば通れるとはいえ、でっぷりとした猫はむりだろうかと、ほっそりとした猫を想像する。冬季は外に出ることも難しいため、六ヶ月分の食料を家の中に貯蓄する必要があった。ミニマリストなんていったら叫ばれそうな『生きるための』凄まじい世界。その食糧を食べてしまうネズミを狩るのが猫たちの役目だったそう。異国の船乗りと運命をともにしたような野生的な猫たち。するすると足元を通っていく感じすらして、ぱっと後ろをみたが何もいなかった。
また、民家園を回っていると立派な仏壇や神棚が備え付けられていることに気づくだろう。すごいなと思う。厳しい暮らしゆえの見えざるものへの祈り。天候や、虫害、病など、人の手に負えない部分がいかに生活を脅かしていたのかと知る。祈る時、共同意識が生まれ、それにより立ち向かっていたのかなと想像する。
便利ではないから、何もない、からこそ生まれる無有好醜 そんな場所だった。
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