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夢の欠片を食い繋いで生きている。

美術館を出る頃には雨は本降りになっていて、デザートに豆花を食べながら窓の外を見やると、銀杏の濃い緑に雨の白が綺麗だった。

水族館に行くか、もう一つ美術館に行くかどうしようか、という話になった。せっかくあなたは遠くから来てるのだし、好きな方でいいよ、といったけれど内心水族館に行きたいなと思っていたので、「とりあえず、行ってみようか」と席を立って「どこに?」と聞いた時、「水族館に」と言われた時は嬉しかった。

魚ははじまりの形に近い。我々が遠く離れてしまった。彼らから見たら、私たちの方こそ金魚みたいに歪に見えるのだろうか。

クラゲの照らされた水槽を上から眺めながら、質問をいくつかしたら、とても思慮深くかんがえながら答えてくれた。その、間合いが、その答えがいつも泣きそうになる。

大きな水槽の前の椅子が空いていたので、並んで腰掛ける。海の底、ここは。


アオウミガメの赤ちゃんが、小さな魚におちょくられ、ひらひらとしたピンクを追っていた。アオウミガメは、アカウミガメよりもまぁるい眼をしている。知ってた?と尋ねたら、知ってたよ、と言われた。


水族館を出て、駅まで歩き、お茶をしてひたすら話して、図録を見ながらまた話して、聞きたかったことは全て聞けて、2ヶ月分話した、と思った。普段ここまで感情を動かしたり、出力したりしないから、帰る頃のわたしは萎んだ朝顔の様になっていた。


私にとってあなたと一緒にいる時は、「わかりやすい正解を出さなくていい、思いっきり120パーセントで投げてもいい問いの場」なのだと思う。
多少ずれていてもとってくれる。そもそも正解が一つじゃないし、相手のそれを汲んだり(流石に最初は様子を見るけれど)しなくても、いい。自分の予想しなかった答えが返ってくる。ちゃんと考えて話してくれる。自分でも固まっていないものをその場に出して、話を聞いてもらって話を聞いて、自分でもそうか、そう思っていたのか?と探していた感覚と言葉のかけらがそこかしこから現れてくる。
今まで自分一人ではたどりつけなかったものが生まれている。それって大変に楽しい。

あなたの話を聞いていると、底の見えない美しい沼を見ている気持ちになることがある。わからない、は怖い、に似ているけれどそうじゃない、と思う。危うさ?うーん違うかな。

心臓に、氷を当てた様な、ひやりとする感覚。この感情の名前を、私はまだつけられていない。だから面白いとも思う。(ちょっと刺されないか心配してるけれど。昔わたしは似たような感覚で生きていて刺されそうになりました)


ひたすら話すだけ話して、途中駅で「じゃ、また」と別れた。

電車に揺られて帰りながら、花火は雨でも打ち上がっていることを知っていたのに、反対側の真っ暗な川を眺めていた。欠けているところも含めて、私が望んでいるものは用意されていて、それを残らず平らげて、胸がいっぱいだった。もう何も入る余地がなかった。

カメラすら必要なかった。何枚か撮ったけれど切実じゃないから写っていないかもしれない。
スカイツリーの中まで行ってスカイツリーを見ないで帰ったこと

夜の雨に濡れた光の美しさ。

美しいとかなしい
きれいとさびしい
かわいいとかわいそう はよく似ている、と思った。


浅く眠っては意識は上がってそれを抑え込み、ジャングルの残像がちらちらとした。4時に目が覚めて、朝が来るのを隠す様にカーテンを引いて再び眠った。

起きてはっとした。私は掬われ切り取られた海に昨日行ったのだと気づいた。

ゼリーと豆腐とドーナツ、私たちは海を切り取る。

そんな夢のかけらを、金平糖の様に瓶の中に溜めておいて、かりこり、と噛み砕いて食い繋いで日常を生きている。
この記憶を、腐りもしない化石にできたらいいのに、と思いながら。

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ミルメルモ。
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