一緒に生きる。
朝予約して夕方届いた東直子さんの『一緒に生きる』を読んでいる。東さんの子供と真っ直ぐに生きてきた純粋さが眩しい。
我が身を振り返れば、今ようやく子供が可愛く、やっと同じものを見て、同じことを体験して楽しむことができ始めた、という感じである。
それでも、一緒にやろー!を忙しいから、という理由で断ってしまうこともしばしばあって申し訳ないなとも思う。
ただ、寝かしつけの前の絵本やお風呂での会話が以前より億劫でなくなってきたのは、一人の、自分とは別の人間として子どもを見られるようになってきたからだろうか。
さらには、一人の時間が取れるようになってきて、仕事で他の大人と関わる時間ができて、子どもたちと程よく距離を取れていることも大きいと思っている。
あまりに近すぎる距離は、すぐに子どもたちのことを自分ごとと捉え易くしてしまう原因となって、バランスを崩してしまう。
一人の個としての自分
親としての自分
もう引き剥がせないものを、中のバランスを調整しながら立っている。
本を読んでいて、わたしは今よりもっと幼く小さかった人たちを叱り飛ばして生きてきたのだということに気づいた。そして、それだけ精一杯な日々だったとも思いだして、胸がきゅっと苦しくなる。
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子どもにとって嫌なことを重ねてしまったな、と思ったら、子どもがうれしいことをそれ以上に重ねてあげればいいのだ。
ということを、子育て真っ最中のときに気づける冷静さがあればなあ、と、昔の自分に語りかけるようなつもりで、これを書いています。
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という東さんの言葉が、あたたかくて、きゅっとなってしまった胸の、つかえた部分をゆるめてくれる。
グリーンイグアナと海に生きるオオカミのことを細かく教えてくれて、今は規則正しい寝息を立てる人を、そっと見守り布団に潜り直す夜です。
たまにこうして、本を読むと知らない世界を覗き見るようで、本は扉で、やっとそれを開けるようになってほっとしながら眠ります。
あたたかくして、おやすみなさい。
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