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生きていることをまるごとだきしめて、私たちは歩き続ける。

娘を習い事に送って、代官山蔦屋に行った。代官山に来たのは何年ぶりだろう。haruka nakamuraの展示。前日にフォローさせてもらっている素敵な人のストーリーズで知って、思わず体が動いていた。

良くて良くて、何周もウロウロしたり、CDジャケットを手に取ったり。驚いたのは、haruka nakamuraさんの文章や写真が、生み出される音楽とぴったりと一致していたこと。丁寧で、黄昏時に、1人で部屋にいる時のあの暮れゆく窓の外を眺めている感じ。

ポラロイドやフィルムで撮られた、音楽のある風景の写真たちは、どこか記憶のかなたにある残像のようだった。

あなたが好きだと言っていたCURTAIN CALLを歌っていた13歳だった少女のencoreとしてのルックバックのLight song、知ってた?わたしは鳥肌が立ったよ。

結びつき、解け、別れ、また巡る。中継地点が違っても、きっと同じ場所に辿り着く。もし道が別れても、そこで手を振ってそれぞれ進んで来た眩い旅の軌跡を見せてもらった気がした。

鎌倉の海のそばで製作していたこととか、知らないことばかりで文章もぐいぐい読み込んでしまった。わかりやすく、ていねいで、やさしい言葉たち。

うっかり、今のわたしは、川島小鳥さんの写真集よりも揺さぶられてしまった。川島さんはファンタジーなのだけれど、こちらはもっと、寂しい、切ない。日が暮れて夜が来る。

生きていることを、丸ごと抱きしめる感じ。好きだった。

今日、そりゃそうなのだけれどなんか疲れていて、乗り換えを2回くらい間違えて、それでも代官山に辿り着いて、中継地点がちがっても、それでも辿り着ける。と思ったのでした。行けて良かった。

写真集良くて良くて買ってしまったので、今度持って行くので見てください。好きだと思う。

星野道夫、牧野伊三夫、川内倫子、花が好きなら刺さると…というかそんなこと言わなくても刺さるでしょう。たぶん、きっと。

あなたは花
あなたは川
あなたは虹なのだから


スティルライフ

夕陽を取ろうと思ったけれどうまく撮れなかった。二子玉川公園や二子玉川駅の周りで撮られたであろう写真が数枚写真集に入っていて、わたしがそこへ行く前に、今のわたしと同じ場所に立って撮られた写真たち。

今日知ったのだけれど、長い間、二子玉川に住んでいたそう。
CURTAIN CALLのジャケットも、多分知っている桜で。もうだいぶ朽ちて、切られてしまっても、ちゃんと写真に残って咲いてる。




行きの電車で妊婦さんに席を譲ったら、帰りのバスで初老の男性が娘に席を譲ってくれた。

窓の外にたわわに実った柘榴が見えた。鬼子母神を連想する、赤く少し擦れてまだ割れていない実が、秋を告げる。

展示に足を運んで、打たれて、また生活して、映画を観て、打たれて、また生活して、合間に本を読んで、写真を撮って

どんなに摂取しても、何も出てこず、何者にもならない自分に、時間をかけて、お金をかけて、展示を観に行って何になるんだろう?とふと思った。

でも、写真とか絵とか、映画とか人間の作った美しい何かを観ている瞬間、その余韻に、私は人間を好きだと思える。だからやっているのかなと思った。人間を嫌いにならないように。

人間で、まだいていいんだと思えるように。人が生み出した美しいものって、腐食連鎖からすら外れて、自然から遠く遠く離れてしまったのに、奇跡じゃんね?と思った。

そしてそういうものを栄養として日々生きてると思ったのでした。何も生まれなくても生きてるだけで享受してる気がしてきたし、何か作りたいなと思った。


というわけで帰ってご飯。

そこまで食欲ないので外にパスタ食べに行く!という夫と子どもたちを見送って、冷蔵庫のピーマンで無限ピーマンと、だし巻き卵を作って食べる。北海道フェアで買ったすっっごく美味しいキムチが、いつのまにか食べ切られてて悲しい。一口くらいしか食べてなかったのに。

自分で料理をして食べると、不思議と回復する。体が欲してるものを食べられるからかな。普段子供に合わせがちだから。

筋トレしてお風呂入って今日はおしまい。

願う、というより
祈る、に言い換えても良いのかもしれない。

haruka nakamura 音楽のある風景

一番好きな写真のポストカードが、署名入りで入ってた。鎌倉の海。


おやすみなさい。

・・・

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