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MBR-2001

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A: 日本民謡合唱曲 第一集 (福知山音頭 / こきりこ節 / 岳の新太郎さん / 草津湯もみ唄 / ちゃっきり節 / 串本節) (全国)
B: 日本民謡合唱曲 第一集 (キンキラキン / よさこい節 / 関の五本松 / 秩父音頭 / 大森甚句 / 花笠踊り) (全国)

(7" 民族芸能文化連盟 MBR-2001 1975)

レア度:☆☆☆☆☆
内容 :★

民謡を合唱で という試みは意外と多く残されていますが、これはその最たるものではないかと。行儀のよい西洋発声で威風堂々と歌う混声合唱団はさておいて、バックの小気味よいピアノに あまりに軽い西洋楽器による鉦と太鼓の擬態というシンプルなアレンジが面白い。

民族芸能文化連盟は1969年設立。民文連の略称でも知られ、一時はメディアでも活躍した舞踊団「若竹」に代表される一糸乱れぬ規律を持った現代的な舞台を追及する団体とのこと。

ともかくこちらの制作意図はある種的を射ていて、以下の町田佳聲の核心を突いた言葉(昭和49年9月20日)に武者震いしたという関係者が制作に踏み切ったという熱意の一枚となっています。

『今日一般にうたわれている民謡の元を辿れば、労作唄であり労働歌であり、青春の唄であったと申せましょう。斉唱にせよ輪唱にせよ、その殆んどが大勢の発声から生み出された合唱形式が、本来的なものだったと考えられます。……今日のように技巧的に編飾され過ぎた、独唱本位のものが民謡と思われている傾向は、ただ限られた人々のみの趣味の唄に止まり、未来に向かってなんの広がりもなく、その発展を望める希望も薄く、こうした風潮は強ち正常とは申せません。……民謡の本流を庶民の唄、大衆の唄と捉えるならば、寧ろ民謡こそ合唱曲としてどんどん歌われ、今日の国民的レベルで嗜好されて然るべきかと、強く思われてなりません。』

結果としては「正直いって民謡の声とは違ったもの」という自覚があった上で出来上がった本作ですが、"こきりこ節"の〽ホーーッや"関の五本松"の〽ホイッ、”秩父音頭”の〽そうともそうともそうだんべ あちゃむしだんべに吊るし柿 ト コラショイッ など、はやし言葉だけは本来の民謡風のまま残してみたり、また"大森甚句"では「なんといっても関東風の歯切れが大切」との歌い方への注釈を残すなど、やはり制作側は非常に意欲的。

惜しむらくはここまで理解しておきながら 声から音が作られる・肉体からビートが生まれるという民謡のファジーでフレキシブルな根本の発想までには至らなかったところ。そこにある自然からルールが産みだされるのか、机上で作り上げたルールに現実を当てはめていくのか。生活からアニミズム的な部分が剥ぎ取られていった日本の近代化の過程そのものの失敗を民謡も辿ったんだなという気がします。

とはいえ「本レコードを参考教材として、各々に練習を積まれた民謡グループの中から、二次的に複合昇華された結実が、私達の希求する日本的調和をもった、合唱民謡となろうかと、期待しております」。彼らの思う日本的調和がその規律に基づいたものであったならば失敗は必然だった。永遠に叶うことのない もう来ない未来のミュータント日本の形。


ご参考

合唱と民謡といえば 町田佳聲とともにNHKの日本民謡大観の音源を訪ね自らの現代音楽作品に昇華した「日本のバルトオク」こと間宮芳生の影響下にもあったのではないかとも。

『みずから新しいハヤシコトバを作る自由が誰にでもある』


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